正伝の仏法

修行僧の写真や動画について

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曹洞宗の全国のお寺のページを見る機会が多いのですが、修行道場である永平寺や總持寺の法要の動画や写真はよく更新されています。一昔前なら、写真を撮られてもごく限られた人の目にしか映らなかったものの、現代はその動画や写真のデータをもって、誰がどのように使うか分からない、そんな状態なのに修行僧の姿をばんばん公開していいものなのか疑問に思います。

事情があって仏教の世界に入る人もいる訳です。お寺の子どもだから跡継ぎのために修行に来ましたという人ばかりとは限らないし、何ならカメラは修行の妨げかもしれません。「現地に行かなければ見れないもの」であってもいいのではないかと感じます。

身内だけで共有するレベルであればいいのですが、修行僧については以上のような思いがあります。自分だったら嫌だなと。

ここで、違う目線に切り替えます。

永平寺や總持寺に修行に入ったのであれば、自分を失くし、与えられた役割に徹しなければなりません。自分の気持ちは置いておいて、目の前に置かれたやらなければいけないことを寝不足でも早朝には起き、決められた予定で動き、夜には当日の反省と翌日の予習をして寝る。そういう生活です。

自分を失くして、永平寺の一部になっている、總持寺の一部になっている、

だから、動画や写真に写っていてもいいんじゃないか、とは思いません。

見せるための修行じゃないんだと、
修行した証拠のための動画や写真じゃないんだと、

修行した人の本質は、
永平寺や總持寺を出た後に、
どのように生きているかだと思うからです。

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