曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法(ぼだいさったししょうぼう)

投稿日:2020年9月24日 更新日:

一者、布施。二者、愛語。三者、利行。四者、同事。
その布施といふは不貪なり。不貪といふは、むさぼらざるなり。むさぼらずといふは、よのなかにいふへつらはざるなり。たとひ四州を統領すれども、正道の教化をほどこすには、かならず不貪なるのみなり。たとへば、すつるたからをしらぬ人にほどこさんがごとし。

遠山のはなを如来に供し、前生のたからを衆生にほどこさん、法におきても物におきても、面々に布施に相応する功徳を本具せり。我物にあらざれども、布施をさへざる道理あり。そのもののかろきをきらはず、その功徳の実なるべきなり。道を道にまかするとき、得道す。得道のときは、道かならず道にまかせられゆくなり。財のたからにまかせらるるとき、財かならず布施となるなり。自を自にほどこし、他を他にほどこすなり。この布施の因縁力、とほく天上人間までも通じ、証果の賢聖までも通ずるなり。そのゆゑは、布施の能受となりて、すでに縁をむすぶがゆゑに。

ほとけののたまはく、布施する人の衆会のなかにきたるときは、まづその人を諸人のぞみみる。
しるべし、ひそかにそのこころの神通ずるなりと。しかあればすなはち、一句一偈の法をも布施すべし、此生他生の善種となる。一銭一草の財をも布施すべし、此世他世の善根をきざす。法もたからなるべし、財も法なるべし。願楽によるべきなり。

まことにすなはち、ひげをほどこしては、もののこころをととのへ、いさごを供しては王位をうるなり。ただかれが報謝をむさぼらず、みづからがちからをわかつなり。舟をおき、橋をわたすも、布施の檀度なり。もしよく布施を学するときは、受身捨身ともにこれ布施なり、治生産業もとより布施にあらざることなし。

はなを風にまかせ、鳥をときにまかするも、布施の功業なるべし。阿育大王の半菴羅果、よく数百の僧衆を供養せし、広大の供養なりと証明する道理、よくよく能受の人も学すべし。身力をはげますのみにあらず、便宜をすごさざるべし。

まことに、みづからに布施の功徳の本具なるゆゑに、いまのみづからはえたるなり。
ほとけののたまはく、於其自身、尚可受用、何況能与父母妻子(其の自身に於ても、尚ほ受用すべし、何に況んや能く父母妻子に与へんをや)。

しかあればしりぬ、みづからもちゐるも布施の一分なり、父母妻子にあたふるも布施なるべし。もしよく布施に一塵を捨せんときは、みづからが所作なりといふとも、しづかに隨喜すべきなり。諸仏のひとつの功徳をすでに正伝しつくれるがゆゑに、菩薩の一法をはじめて修行するがゆゑに。

転じがたきは衆生のこころなり。一財をきざして衆生の心地を転じはじむるより、得道にいたるまでも、転ぜんとおもふなり。そのはじめ、かならず布施をもてすべきなり。かるがゆゑに、六波羅蜜のはじめに檀波羅蜜あるなり。心の大小ははかるべからず、物の大小もはかるべからず。されども、心転物のときあり、物転心の布施あるなり。

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。慈念衆生、猶如赤子のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を長するなり。しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。現在の身命の存ぜらんあひだ、このんで愛語すべし、世々生々にも不退転ならん。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。

むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。愛語よく回天のちからあることを学すべきなり、ただ能を賞するのみにあらず。

利行といふは、貴賤の衆生におきて、利﨟の善巧をめぐらすなり。たとへば、遠近の前途をまぼりて、利他の方便をいとなむ。窮亀をあはれみ、病雀をやしなふし、窮亀をみ、病雀をみしとき、かれが報謝をもとめず、ただひとへに利行にもよほさるるなり。

愚人おもはくは、利他をさきとせば、自が利、はぶかれぬべしと。しかにはあらざるなり。利行は一法なり、あまねく自他を利益するなり。むかしの人、ひとたび沐浴するに、みたびかみをゆひ、ひとたび飡食するに、みたびはきいだせしは、ひとへに他を利せしこころなり。ひとのくにの民なれば、をしへざらんとにはあらざりき。

しかあれば、怨親ひとしく利益すべし、自他おなじく利益するなり。もしこのこころをうれば、草木風水にも利行のおのれづから不退不転なる道理、まさに利行せらるるなり。ひとへに愚をすくはんといとなむべし。

同事といふは、不違なり。自にも不違なり、他にも不違なり。たとへば、人間の如来は人間に同ぜるがごとし。人界に同ずるをもてしりぬ、同余界なるべし。同事をしるとき、自他一如なり。

かの琴詩酒は、人をともとし、天をともとし、藭をともとす。人は琴詩酒をともとす、琴詩酒は琴詩酒をともとし、人は人をともとし、天は天をともとし、藭は藭をともとすることわりあり。これ同事の習学なり。

たとへば、事といふは、儀なり、威なり、態なり。他をして自に同ぜしめてのちに、自をして他に同ぜしむる道理あるべし。自他はときにしたがふて無窮なり。
管子云、海不辞水、故能成甚大。山不辞土、故能成其高。明主不厭人、故能成其衆(管子云く、海は水を辞せず、故に能く甚大きなることを成す。山は土を辞せず、故に能くその高きことを成す。明主は人を厭はず、故に能く其の衆を成す)。

しるべし、海の水を辞せざるは同事なり。さらにしるべし、水の海を辞せざる徳も具足せるなり。このゆゑに、よく水あつまりて海となり、土かさなりて山となるなり。ひそかにしりぬ、海は海を辞せざるがゆゑに、おほきなることをなす。山は山を辞せざるがゆゑに、たかきことをなすなり。明主は人をいとはざるがゆゑに、その衆をなす。衆とは国なり。いはゆる明主は、帝王をいふなるべし。帝王は人をいとはざるなり。人をいとはずといへども、賞罰なきにあらず。賞罰ありといへども、人をいとふことなし。

むかしすなほなりしときは、国に賞罰なかりき。かのときの賞罰は、いまとひとしからざればなり。いまも、賞をまたずして道をもとむる人もあるべきなり、愚夫の思慮のおよぶべきにあらず。明主はあきらかなるがゆゑに人をいとはず。人かならず国をなし、明主をもとむるこころあれども、明主の明主たる道理をことごとくしる事まれなるゆゑに、明主にいとはれずとのみよろこぶといへども、わが明主をいとはざるとしらず。このゆゑに、明主にも暗人にも、同事の道理あるがゆゑに、同事は薩埵の行願なり。ただまさに、やはらかなる容顔をもて一切にむかふべし。
この四摂、おのおの四摂を具足せるがゆゑに、十六摂なるべし。

正法眼蔵菩提薩埵四摂法第二十八

仁治癸卯端午日記録 入宋伝法沙門道元

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