曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

行持(ぎょうじ)下「正法眼蔵」

投稿日:2020年9月24日 更新日:

真丹初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり。航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや、雲煙いくかさなりの嶮浪なりとかせん。不知のくににいらんとす、身命ををしまん凡類、おもひよるべからず。これひとへに伝法救迷情の大慈よりなれる行持なるべし。

伝法の自己なるがゆゑにしかあり、伝法の遍界なるがゆゑにしかあり。尽十方界は真実道なるがゆゑにしかあり、尽十方界自己なるがゆゑにしかあり、尽十方界尽十方界なるがゆゑにしかあり。いづれの生縁か王宮にあらざらん、いづれの王宮か道場をさへん。

このゆゑにかくのごとく西来せり。救迷情の自己なるゆゑに驚疑なく、怖畏せず。救迷の遍界なるゆゑに驚疑せず、怖畏なし。ながく父王の国土を辭して、大舟をよそほうて、南海をへて広州にとづく。使船の人おほく、巾瓶の僧あまたありといへども、史者失録せり。著岸よりこのかた、しれる人なし。すなはち梁代の普通八年丁未歳九月二十一日なり。

広州の刺史蕭昂といふもの、主礼をかざりて迎接したてまつる。ちなみに表を修して武帝にきこゆる、蕭昂が勤恪なり。武帝すなはち奏を覽じて、欣絓して、使に詔をもたせて迎請したてまつる。すなはちそのとし十月一日なり。

初祖金陵にいたりて、梁武と相見するに、
梁武とふ、朕即位已来、造寺写経度僧、不可勝紀、有何功徳(朕即位よりこのかた、造寺写経度僧、勝げて紀すべからず、何の功徳か有る)。
師曰、竝無功徳(竝びに功徳無し)。
帝曰、何以無功徳(何の以にか功徳無き)。
師曰、此但人天小果、有漏之因。如影隨形、雖有非実(此れは但人天の小果、有漏の因縁なり。影の形に隨ふが如し、有りと雖も実に非ず)。
帝曰、如何是真功徳(如何ならんか是れ真の功徳なる)。
師曰、浄智妙円、体自空寂。如是功徳、不以世求(浄智妙円、体自ら空寂なり。是の如き功徳は、世を以て求めず)。
帝又問、如何是聖諦第一義諦(如何ならんか是れ聖諦第一義諦)。
師曰く、廓然無聖。
帝曰く、対朕者誰(朕に対する者は誰そ)。
師曰く、不識。
帝、不領悟。師、知機不契(帝領悟せず。師、機の不契なるを知る)。

ゆゑにこの十月十九日、ひそかに江北にゆく。そのとし十一月二十三日、洛陽にいたりぬ。嵩山少林寺に寓止して、面壁而坐、終日黙然なり。しかあれども、魏主も不肖にしてしらず、はぢつべき理もしらず。

師は南天竺の刹利種なり、大国の皇子なり。大国の王宮、その法ひさしく慣熟せり。小国の風俗は、大国の帝者に為見のはぢつべきあれども、初祖、うごかしむるこころあらず。くにをすてず、人をすてず。ときに菩提流支の訕謗を救せず、にくまず。光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。

かくのごとくの功徳おほしといへども、東地の人物、ただ尋常の三蔵および経論師のごとくにおもふは至愚なり。小人なるゆゑなり。あるいはおもふ、禅宗とて一途の法門を開演説するが、自余の論師等の所云も、初祖の正法もおなじかるべきとおもふ。これは仏法を濫穢せしむる小畜なり。

初祖は釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣なり、父王の大国をはなれて、東地の衆生を救済する、たれのかたをひとしくするかあらん。もし、祖師西来せずは、東地の衆生いかにしてか仏正法を見聞せん。いたづらに名相の沙石にわづらふのみならん。

いまわれらがごときの辺地遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことをえたり。いまは田夫農父、野老村童までも見聞する、しかしながら祖師航海の行持にすくはるるなり。

西天と中華と、土風はるかに勝劣せり、方俗はるかに邪正あり。大忍力の大慈にあらずよりは、伝持法蔵の大聖、むかふべき処在にあらず。住すべき道場なし、知人の人まれなり。しばらく嵩山に掛錫すること九年なり。人これを壁観婆羅門といふ。史者これを習禅の列に編集すれども、しかにはあらず。仏々嫡々相伝する正法眼蔵、ひとり祖師のみなり。

石門林間録云、菩提達磨、初自梁之魏。経行嵩山之下、倚杖於少林。面壁燕坐而已、非習禅也。久之人莫測其故。因以達磨為習禅。夫禅那、諸行之一耳。何足以尽聖人。而当時之人、以之、為史者、又従而伝於習禅之列、使与枯木死灰之徒為伍。雖然、聖人非止於禅那、而亦不違禅那。如易出于陰陽、而亦不違乎陰陽

(石門の林間録に云く、菩提達磨、初め梁より魏に之く。嵩山の下に経行し、少林に倚杖す。面壁燕坐するのみなり、習禅には非ず。久しくなりて人其の故を測ること莫し。因て達磨を以て習禅とす。夫れ禅那は、諸行の一のみなり。何ぞ以て聖人を尽すに足らん。而も当時の人、之を以てし、為史の者、又従へて習禅の列に伝ね、枯木死灰の徒と伍ならしむ。然りと雖も、聖人はただ禅那のみ非ず、而も亦禅那に違せず。易の陰陽より出でて、而も亦陰陽に違せざるが如し)。

梁武初見達磨之時、即問、如何是聖諦第一義(梁武初めて達磨を見し時、即ち問ふ、如何ならんか是れ聖諦第一義)。
答曰、廓然無聖。
進曰、対朕者誰(朕に対する者は誰そ)。
又曰、不識。
使達磨不通方言、則何於是時、使能爾耶(使達磨方言に不通ならんには、則ち何ぞ是の時に於て、能くしかあらしむるにいたらんや)。

しかあればすなはち、梁より魏へゆくことあきらけし。嵩山に経行して少林に倚杖す。面壁燕坐すといへども、習禅にはあらざるなり。一巻の経書を将来せざれども、正法伝来の正主なり。しかあるを、史者あきらめず、習禅の篇につらぬるは、至愚なり、かなしむべし。

かくのごとくして嵩山に経行するに、犬あり、尭をほゆ。あはれむべし、至愚なり。たれのこころあらんか、この慈恩をかろくせん。たれのこころあらんか、この恩を報ぜざらん。世恩なほわすれず、おもくする人おほし、これを人といふ。祖師の大恩は父母にもすぐるべし、祖師の慈愛は親子にもたくらべざれ。

われらが卑賤おもひやれば、驚怖しつべし。中土をみず、中華にむまれず、聖をしらず、賢をみず、天上にのぼれる人いまだなし、人心ひとへにおろかなり。開闢よりこのかた化俗の人なし、国をすますときをきかず。いはゆるは、いかなるか清、いかなるか濁としらざるによる。二柄三才の本末にくらきによりてかくのごとくなり。いはんや五才の盛衰をしらんや。この愚は、眼前の声色にくらきによりてなり。くらきことは、経書をしらざるによりてなり、経書に師なきによりてなり。

その師なしといふは、この経書いく十巻といふことをしらず、この経いく百偈、いく千言としらず、ただ文の説相をのみよむ。いく千偈、いく万言といふことをしらざるなり。すでに古経をしり、古書をよむがごときは、すなはち慕古の意旨あるなり。慕古のこころあれば、古経きたり現前するなり。漢高祖および魏太祖、これら天象の偈をあきらめ、地形の言をつたへし帝者なり。かくのごときの経典あきらむるとき、いささか三才あきらめきたるなり。

いまだかくのごとくの聖君の化にあはざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならひ、いかなるを事親とならふとしらざれば、君子としてもあはれむべきものなり。親族としてもあはれむべきなり。臣となれるも子となれるも、尺璧もいたづらにすぎぬ、寸陰もいたづらにすぎぬるなり。かくのごとくなる家門にむまれて、国土のおもき職なほさづくる人なし、かろき官位なほをしむ。にごれるときなほしかあり、すめらんときは見聞もまれならん。

かくのごときの辺地、かくのごときの卑賤の身命をもちながら、あくまで如来の正法をきかんみちに、いかでかこの卑賤の身命ををしむこころあらん。をしんでのちになにもののためにかすてんとする。おもくかしこからん、なほ法のためにをしむべからず、いはんや卑賤の身命をや。たとひ卑賤なりといふとも、為道為説法のところにをしまずすつることあらば、上天よりも貴なるべし、輪王よりも貴なるべし、おほよそ天神地祇、三界衆生よりも貴なるべし。

しかあるに初祖は南天竺国香至王の第三皇子なり。すでに天竺国の帝胤なり、皇子なり。高貴のうやまふべき、東地辺国には、かしづきたてまつるべき儀もいまだしらざるなり。香なし、花なし、坐褥おろそかなり、殿台つたなし。いはんやわがくには、遠方の絶岸なり、いかでか大国の皇をうやまふ儀をしらん。たとひならふとも、迂曲してわきまふべからざるなり。諸侯と帝者と、その儀ことなるべし、その礼も軽重あれどもわきまへしらず。

自己の貴賤をしらざれば、自己を保任せず。自己を保任せざれば、自己の貴賤もともあきらむべきなり。初祖は釈尊第二十八世の附法なり。道にありてよりこのかた、いよいよおもし。かくのごとくなる大聖至尊、なほ師勅によりて身命ををしまざるは伝法のためなり、救生のためなり。

真丹国には、いまだ初祖西来よりさきに嫡々単伝の仏子をみず、嫡々面授の祖面を面授せず、見仏いまだしかりき。のちにも初祖の遠孫のほか、さらに西来せざるなり。曇花の一現はやすかるべし、年月をまちて算数しつべし、初祖の西来はふたたびあるべからざるなり。しかあるに、祖師の遠孫と称ずるともがらも、楚国の至愚にゑうて、玉石いまだわきまへず、経師論師を斉肩すべきとおもへり。少聞薄解によりてしかあるなり。宿殖般若の正種なきやからは道の遠孫とならず、いたづらに名相の邪路に跉跰(りょうび)するもの、あはれむべし。

梁の普通よりのち、なほ西天にゆくものあり、それなにのためぞ。至愚のはなはだしきなり。悪業のひくによりて、他国に跉跰するなり。歩々に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す、なんだち西天にいたりてなんの所得かある。ただ山水に辛苦するのみなり。

西天の東来する宗旨を学せずは、仏法の東漸をあきらめざるによりて、いたづらに西天に迷路するなり。仏法をもとむる名称ありといへども、仏法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあはず、いたづらに論師経師にのみあへり。そのゆゑは、正師は西天にも現在せれども、正法をもとむる正心なきによりて、正法なんだちが手にいらざるなり。西天にいたりて正師をみたるといふたれか、その人いまだきこえざるなり。もし正師にあはば、いくそばくの名称をも自称せん。なきによりて自称いまだあらず。

また真丹国にも、祖師西来よりのち、経論に倚解して、正法をとぶらはざる僧侶おほし。これ経論を披閲すといへども経論の旨趣にくらし。この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。今生つひに如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、如来の仏心を使用せず、諸仏の家風をきかざる、かなしむべき一生ならん。隋唐宋の諸代、かくのごときのたぐひおほし、ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるも、あるは算沙の業を解脱して、祖師の遠孫となれりしは、ともに利根の機なり、上々の機なり、正人の正種なり。愚蒙のやから、ひさしく経論の草庵に止宿するのみなり。しかあるに、かくのごとくの嶮難あるさかひを辭せずといはず、初祖西来する玄風、いまなほあふぐところに、われらが臭皮袋を、をしんでつひになににかせん。

香厳禅師いはく、
百計千方只為身、
不知身是筭中塵。
莫言白髪無言語、
此是黄泉伝語人。

(百計千方只身の為なり、知らず、身は是れ筭の中の塵なること。言ふこと莫れ白髪に言語無しと、此れは是れ黄泉伝語の人なり。)

しかあればすなはち、をしむにたとひ百計千方をもてすといふとも、つひにはこれ筭中一堆の塵と化するものなり。いはんやいたづらに小国の王民につかはれて、東西に馳走いるあひだ、千辛万苦いくばくの身心をかくるしむる。義によりては身命をかろくす、殉死の礼わすれざるがごし。

恩につかはるる前途、ただ暗頭の雲霧なり。小臣につかはれ、民間に身命をすつるもの、むかしよりおほし。をしむべき人身なり、道器となりぬべきゆゑに。いま正法にあふ、百千恒沙の身命をすてても正法を参学すべし。いたづらなる小人と、広大深遠の仏法と、いづれのためにか身命をすつべき。賢不肖ともに進退にわづらふべからざるものなり。

しづかにおもふべし、正法よに流布せざらんときは、身命を正法のために抛捨せんことをねがふともあふべからず。正法にあふ今日のわれらをねがふべし、正法にあうて身命をすてざるわれらを慚愧せん。はづべくは、この道理をはづべきなり。しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。自己の身命をかへりみることなかれ。禽獸よりもおろかなる恩愛、をしんですてざることなかれ。たとひ愛惜すとも、長年のともなるべからず。

あくたのごとくなる家門、たのみてとどまることなかれ。たとひとどまるとも、つひの幽棲にあらず。むかし仏祖のかしこかりし、みな七宝千子をなげすて、玉殿朱樓をすみやかにすつ。涕唾のごとくみる、糞土のごとくみる。これらみな、古来の仏祖の古来の仏祖を報謝しきたれる知恩報恩の儀なり。病雀なほ恩をわすれず、三府の環よく報謝あり。窮亀なほ恩をわすれず、余不の印よく報謝あり。かなしむべし、人面ながら畜類よりも愚劣ならんことは。

いまの見仏聞法は、仏祖面々の行持よりきたれる慈恩なり。仏祖もし単伝せずは、いかにしてか今日にいたらん。一句の恩なほ報謝すべし、一法の恩なほ報謝すべし。いはんや正法眼蔵無上大法の大恩、これを報謝せざらんや。一日に無量恒河沙の身命すてんこと、ねがふべし。法のためにすてんかばねは、世々のわれら、かへりて礼拝供養すべし。諸天龍神ともに恭敬尊重し、守護讃歎するところなり、道理それ必然なるがゆゑに。

西天竺国には、髑髏をうり髑髏をかふ婆羅門の法、ひさしく風聞せり。これ聞法の人の髑髏形骸の功徳おほきことを尊重するなり。いま道のために身命をすてざれば、聞法の功いたらず。身命をかへりみず聞法するがごときは、その聞法成熟するなり。

この髑髏は、尊重すべきなり。いまわれら、道のためにすてざらん髑髏は、他日にさらされて野外にすてらるとも、たれかこれを礼拝せん、たれかこれを売買せん。今日の精魂、かへりてうらむべし。鬼の先骨をうつありき、天の先骨を礼せしあり。いたづらに塵土に化するときをおもひやれば、いまの愛惜なし、のちのあはれみあり。もよほさるるところは、みん人のなみだのごとくなるべし。いたづらに塵土に化して人にいとはれん髑髏をもて、よくさいはひに仏正法を行持すべし。

このゆゑに、寒苦をおづることなかれ、寒苦いまだ人をやぶらず、寒苦いまだ道をやぶらず。ただ不修をおづべし、不修それ人をやぶり、道をやぶる。暑熱をおづることなかれ、暑熱いまだ人をやぶらず、暑熱いまだ道をやぶらず。不修よく人をやぶり、道をやぶる。麥をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならはざるべし。ただまさに行持なる一日は、諸仏の行履なり。

真丹第二祖大祖正宗普覚大師は、神鬼ともに嚮慕す、道俗おなじく尊重せし高徳の師なり、曠達の士なり。伊洛に久居して群書を博覽す。くにのまれなりとするところ、人のあひがたきなり。法高徳重のゆゑに、神物倏見して、祖にかたりていふ、

将欲受果、何滞此耶。大道匪遠、汝其南矣(将に受果を欲はば、何ぞ此に滞るや。大道遠きに匪ず、汝其れ南へゆくべし)。
あくる日、にはかに頭痛すること刺がごとし。其師洛陽龍門香山宝静禅師、これを治せんとするときに、
空中有声曰、此乃換骨、非常痛也(空中に声有りて曰く、此れ乃ち骨を換ふるなり、常の痛みに非ず)。

祖遂以見神事、白于師。師視其頂骨、即如五峰秀出矣。乃曰、汝相吉祥、当有所証。神汝南者、斯則少林寺達磨大士、必汝之師也(祖遂に見神の事を以て、師に白す、師その頂骨を視るに、即ち五峰の秀出せるが如し。乃ち曰く、汝が相、吉祥なり、当に所証有るべし。神の汝南へゆけといふは、斯れ則ち少林寺の達磨大士、必ず汝が師なり)。

この教をききて、祖すなはち少室峰に参ず。神はみづからの久遠修道の守道神なり。このとき窮臈寒天なり。十二月初九夜といふ。天大雨雪ならずとも、深山高峰の冬夜は、おもひやるに、人物の窓前に立地すべきにあらず。竹節なほ破す、おそれつべき時候なり。

しかあるに、大雪匝地、埋山没峰なり。破雪して道をもとむ、いくばくの嶮難なりとかせん。つひに祖室にとづくといへども、入室ゆるされず、顧眄せざるがごとし。この夜、ねぶらず、坐せず、やすむことなし。堅立不動にしてあくるをまつに、夜雪なさけなきがごとし。ややつもりて腰をうづむあひだ、おつるなみだ滴滴こほる。なみだをみるになみだをかさぬ、身をかへりみて身をかへりみる。

自惟すらく、
昔人求道、敲骨取髓、刺血済饑。布髪淹泥、投崖邙虎。古尚若此、我又何人(昔の人、道を求むるに、骨を敲ちて髓を取り、血を刺して饑ゑたるを済ふ。髪を布きて泥を淹ひ、崖に投げて虎に邙ふ。古尚此の若し、我又何人ぞ)。

かくのごとくおもふに、志気いよいよ勵志あり。
いまいふ古尚若此、我又何人を、晩進もわすれざるべきなり。しばらくこれをわするるとき、永劫の沈溺あるなり。
かくのごとく自惟して、法をもとめ道をもとむる志気のみかさなる。澡雪の操を操とせざるによりて、しかありけるなるべし。遅明のよるの消息、はからんとするに肝膽もくだけぬるがごとし。ただ身毛の寒怕せらるるのみなり。

初祖、あはれみて昧旦にとふ、汝久立雪中、当求何事(汝、久しく雪中に立つて、当に何事をか求むる)。
かくのごとくきくに、二祖、悲涙ますますおとしていはく、惟願和尚、慈悲開甘露門、広度群品(惟し願はくは和尚、慈悲をもて甘露門を開き、広く群品を度すべし)。
かくのごとくまうすに、
初祖曰、諸仏無上妙道、曠劫精勤、難行能行、非忍而忍。豈以小徳小智、軽心慢心、欲冀真乗、徒労勤苦(諸仏無上の妙道は、曠劫に精勤して難行能行す、非忍にして忍なり。豈小徳小智、軽心慢心を以て、真乗を冀はんとせん、徒労に勤苦ならん)。

このとき、二祖ききていよいよ誨勵す。ひそかに利刀をとりて、みづから左臂を断て、置于師前するに、初祖ちなみに二祖これ法器なりとしりぬ。

乃曰、諸仏最初求道、為説法忘形。汝今断臂吾前、求亦可在(諸仏、最初に道を求めしとき、法の為に形を忘じき。汝今臂を吾が前に断ず、求むること亦可なること在り)。
これより堂奥にいる。執侍八年、勤労千万、まことにこれ人天の大依怙なるなり、人天の大導師なるなり。かくのごときの勤労は、西天にもきかず、東地はじめてあり。

破顔は古をきく、得髓は祖に学す。しづかに観想すらくは、初祖いく千万の西来ありとも、二祖もし行持せずば、今日の飽学措大あるべからず。今日われら正法を見聞するたぐひとなれり、祖の恩かならず報謝すべし。その報謝は、余外の法はあたるべからず、身命も不足なるべし、国城もおもきにあらず。国城は他人にもうばはる、親子にもゆづる。身命は無常にもまかす、主君にもまかす、邪道にもまかす。しかあれば、これを挙して報謝に擬するに不道なるべし。ただまさに日々の行持、その報謝の正道なるべし。

いはゆるの道理は、日々の生命を等閑にせず、わたくしにつひやさざらんと行持するなり。そのゆゑはいかん。この生命は、前来の行持の余慶なり、行持の大恩なり。いそぎ報謝すべし。かなしむべし、はづべし、仏祖行持の功徳分より生成せる形骸を、いたづらなる妻子のつぶねとなし、妻子のもちあそびにまかせて、破落ををしまざらんことは。邪狂にして身命を名利の羅刹にまかす。名利は一頭の大賊なり。名利をおもくせば名利をあはれむべし。名利をあはれむといふは、仏祖となりぬべき身命を、名利にまかせてやぶらしめざるなり。妻子親族あはれまんことも、またかくのごとくすべし。名利は夢幻空花と学することなかれ、衆生のごとく学すべし。名利をあはれまず、罪報をつもらしむることなかれ。参学の正眼、あまねく諸方をみんこと、かくのごとくなるべし。

世人のなさけある、金銀珍玩の蒙恵なほ報謝す、好語好声のよしみ、こころあるはみな報謝のなさけをはげむ。如来無上の正法を見聞する大恩、たれの人面か、わするるときあらん。これをわすれざらん、一生の珍宝なり。この行持を不退転ならん形骸髑髏は、生時死時、おなじく七宝塔におさめ、一切人天皆応供養の功徳なり。かくのごとく大恩ありとしりなば、かならず草露の命をいたづらに零落せしめず、如山の徳をねんごろに報ずべし。これすなはち行持なり。

この行持の功は、祖仏として行持するわれありしなり。おほよそ初祖二祖、かつて精藍を草創せず、薙草の繁務なし。および三祖四祖もまたかくのごとし。五祖六祖の寺院を自草せず、青原南嶽もまたかくのごとし。

石頭大師は草庵を大石にむすびて石上に坐禅す。昼夜にねぶらず、坐せざるときなし。衆務を虧闕せずといへども、十二時の坐禅かならずつとめきたれり。いま青原の一派の天下に流通すること、人天を利潤せしむることは、石頭大力の行持堅固のしかあらしむるなり。いまの雲門法眼のあきらむるところある、みな石頭大師の法孫なり。

第三十一祖大医禅師は、十四歳のそのかみ、三祖大師をみしより、服労九載なり。すでに仏祖の祖風を嗣続するより、摂心無寐にして脅不至席なること僅六十年なり。化、怨親にかうぶらしめ、徳、人天にあまねし。真丹の第四祖なり。

貞観癸卯歳、太宗嚮師道味、欲瞻風彩、詔赴京。師上表遜謝、前後三返、竟以疾辭。第四度、命使曰、如果不赴、即取首来。使至山諭旨。師乃引頚就刄、神色儼然。使異之、回以状聞。帝弥加歎慕。就賜珍繒、以遂其志

(貞観癸卯の歳、太宗、師の道味を嚮び、風彩を瞻んとして、赴京を詔す。師、上表して遜謝すること前後三返、竟に疾を以て辭す。第四度、使に命じて曰く、如果して赴せずは、即ち首を取りて来れ。使、山に至つて旨を諭す。師乃ち頚を引いて刄に就く、神色儼然たり。使、之を異とし、回つて状を以て聞す。帝弥加歎慕す。珍繒を就賜して、以てその志を遂ぐ)。

しかあればすなはち、四祖禅師は身命を身命とせず、王臣に親近せざらんと行持せる行持、これ千歳の一遇なり。太宗は有義の国主なり、相見のものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありけると参学すべきなり。人主としては、引頚就刄して身命ををしまざる人物をも、なほ歎慕するなり。これいたづらなるにあらず、光陰ををしみ、行持を專一にするなり。上表三返、奇代の例なり。いま澆季には、もとめて帝者にまみえんとねがふあり。

高宗永徽辛亥歳、閏九月四日、忽垂誡門人曰、一切諸法悉皆解脱。汝等各自護念、流化未来。言訖安坐而逝。寿七十有二、塔于本山。明年四月八日、塔戸無故自開、儀相如生。爾後、門人不敢復閉(高宗の永徽辛亥の歳、閏九月四日、忽ちに門人に垂誡して曰く、一切諸法は悉く皆解脱なり。汝等各自護念すべし、未来を流化すべし。言ひ訖りて安坐して逝す。寿七十有二。本山に塔たつ。明年四月八日、塔の戸、故無く自ら開く、儀相生ける如し。爾後、門人敢てまた閉ぢず)。

しるべし、一切諸法悉皆解脱なり、諸法の空なるにあらず、諸法の諸法ならざるにあらず、悉皆解脱なる諸法なり。いま四祖には、未入塔時の行持あり、即在塔時の行持あるなり。生者かならず滅ありと見聞するは小見なり、滅者は無思覚と知見せるは小聞なり。学道にはこれらの小聞小見をならふことなかれ。生者の滅なきもあるべし、滅者の有思覚なるもあるべきなり。

福州玄沙宗一大師、法名師備、福州閩縣人也。姓謝氏。幼年より垂釣をこのむ。小艇を南台江にうかめて、もろもろの漁者になれきたる。唐の咸通のはじめ、年甫三十なり。たちまちに出塵をねがふ。すなはち釣舟をすてて、芙蓉山霊訓禅師に投じて落髪す。豫章開元寺道玄律師に具足戒をうく。

布衲芒履、食纔接気、常終日宴坐。衆皆異之。与雪峰義存、本法門昆仲、而親近若師資。雪峰以其苦行、呼為頭陀(布衲芒履なり、食は纔かに気を接す、常に終日宴坐す。衆皆之を異なりとす、雪峰義存と、本と法門の昆中なり、而して親近すること師資の若し。雪峰其の苦行を以て、呼んで頭陀と為す)。

一日雪峰問曰、阿那箇是備頭陀(一日、雪峰問ふて曰く、阿那箇か是れ備頭陀)。
師対曰、終不敢誑於人(師対へて曰く、終に敢て人を誑かさず)。
異日雪峰召曰、備頭陀何不徧参去(異日雪峰召んで曰く、備頭陀何ぞ徧参去せざる)。
師曰く、達磨不来東土、二祖不往西天。
雪峰然之。

つひに象骨山にのぼるにおよんで、すなはち師と同力締構するに、玄徒臻萃せり。師の入室咨決するに、晨昏にかはることなし。諸方の玄学のなかに所未決あるは、かならず師にしたがひて請益するに、雪峰和尚いはく、備頭陀にとふべし。師まさに仁にあたりて不譲にしてこれをつとむ。拔群の行持にあらずよりは、恁麼の行履あるべからず。終日宴坐の行持、まれなる行持なり。いたづらに声色に馳騁することはおほしといへども、終日の宴坐はつとむる人まれなるなり。いま晩学としては、のこりの光陰のすくなきことをおそりて、終日宴坐、これをつとむべきなり。

長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。雪峰と玄沙とに往来して、参学すること僅二十九年なり。その年月に蒲団二十枚を坐破す。いまの人の坐禅を愛するあるは、長慶をあげて慕古の勝躅とす。したふはおほし、およぶすくなし。しかあるに、三十年の功夫むなしからず、あるとき涼簾を巻起せしちなみに、忽然として大悟す。

三十来年かつて郷土にかへらず、親族にむかはず、上下肩と談笑せず、專一に功夫す。師の行持は三十年なり。疑滞を疑滞とせること三十年、さしおかざる利機といふべし、大根といふべし。勵志の堅固なる、伝聞するは或従経巻なり。ねがふべきをねがひ、はづべきをはぢとせん、長慶に相逢すべきなり。実を論ずれば、ただ道心なく、操行つたなきによりて、いたづらに名利には繋縛せらるるなり。

大潙山大円禅師は、百丈の授記より、直に潙山の峭絶にゆきて、鳥獸為伍して結草修練す。風雪を辭労することなし。橡栗充食せり。堂宇なし、常住なし。しかあれども、行持の見成すること四十来年なり。のちには海内の名藍として龍象蹴踏するものなり。

梵刹の現成を願ぜんにも、人情をめぐらすことなかれ、仏法の行持を堅固にすべきなり。修練ありて堂閣なきは古仏祖の道場なり、露地樹下の風、とほくきこゆ。この処在、ながく結界となる。まさに一人の行持あれば、諸仏の道場につたはるなり。末世の愚人、いたづらに堂閣の結構につかるることなかれ。仏祖いまだ堂閣をねがはず。自己の眼目いまだあきらめず、いたづらに殿堂精藍を結構する、またく諸仏の仏宇を供養せんとにはあらず、おのれが名利の窟宅とせんがためなり。

潙山のそのかみの行持、しづかにおもひやるべきなり。おもひやるといふは、わがいま潙山にすめらんがごとくおもふべし。深夜のあめの声、こけをうがつのみならんや、巖石を穿却するちからもあるべし。冬天のゆきの夜は、禽獸もまれなるべし、いはんや人煙のわれをしるあらんや。命をかろくし法をおもくする行持にあらずは、しかあるべからざる活計なり。薙草すみやかならず、土木いとなまず。ただ行持修練し、弁道功夫あるのみなり。

あはれむべし、正法伝持の嫡祖、いくばくか山中の嶮岨にわづらふ。潙山をつたへきくには、池あり、水あり、こほりかさなり、きりかさなるらん。人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、仏道と玄奥と、化、成ずることあらたなり。かくのごとく行持しきたれりし道得を見聞す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤労すべき報謝をしらざれば、たやすくきくといふとも、こころあらん晩学、いかでかそのかみの潙山を、目前のいまのごとくおもひやりてあはれまざらん。

この潙山の行持の道力化功徳によりて、風輪うごかず、世界やぶれず。天衆の宮殿おだいかなり、人間の国土も保持せるなり。潙山の遠孫にあらざれども、潙山は祖宗なるべし。のちに仰山きたり侍奉す。仰山、もとは百丈先師のところにして、問十答百の鶖子なりといへども、潙山に参侍して、さらに看牛三年の功夫となる。近来は断絶し、見聞することなき行持なり。三年の看牛、よく道得を人にもとめざらしむ。

芙蓉山の楷祖、もはら行持見成の本源なり。国主より定照禅師号ならびに紫袍をたまふに、祖、うけず、修表具辭す。国主とがめあれども、師、つひに不受なり。米湯の法味つたはれり。芙蓉山に庵せしに、道俗の川湊するもの、僅数百人なり。日食粥一杯なるゆゑに、おほく引去す。師、ちかふて赴斎せず。あるとき衆にしめすにいはく、

夫出家者、為厭塵労。求脱生死、休心息念、断絶攀縁。故名出家。豈可以等閑利養、埋没平生。直須両頭撒開、中間放下。遇声遇色、如石上栽華。見利見名、似眼中著屑。況従無始以来、不是不曽経歴、又不是不知次第、不過翻頭作尾。止於如此、何須苦苦貪恋。如今不歇、更待何時。所以先聖、教人只要尽却。今時能尽今時、更有何事。若得心中無事、仏祖猶是冤家。一切世事、自然冷淡、方始那辺相応

(夫れ出家は、塵労を厭はん為なり。脱生死求め、休心息念し攀縁を断絶す。故に出家と名づく。豈に等閑の利養を以て、平生を埋没す可けんや。直に須らく両頭撒開し、中間放下すべし。声に遇ひ色に遇ふも、石上華を栽うるが如し。利を見名を見るも、眼中に著屑に似たるべし。況んや無始より以来、是れ曽て経歴せざるにあらず、又是れ次第を知らざるにあらず、翻頭作尾に過ぎず。止此の如くなるに於て、何ぞ須らく苦苦に貪恋せん。如今歇めずは、更に何れの時をか待たん。所以に先聖、人をして只要ず尽却せしむ。今時能く今時を尽さば、更に何事か有らん。若し心中の無事を得れば、仏祖も猶是れ冤家なるがごとし。一切世事、自然冷淡なり、方に始めて那辺相応す)。

儞不見、隠山至死、不肯見人。趙州至死、不肯告人、匾担拾橡栗為食、大梅以荷葉為衣、紙衣道者は只披紙、玄太上座只著布。石霜置枯木堂、与衆坐臥、只要死了儞心。投子使人弁米、同煮共餐、要得省取儞事。且従上諸聖、有如此榜様。若無長処、如何甘得。諸仁者、若也於斯体究、的不虧人。若也不肯承当、向後深恐費力

(見ずや、隠山死に至るまで人に見えんことを肯せず。趙州は死に至るまで人に告げんことを肯せず。匾担は橡栗を拾つて食とし、大梅は荷葉を以て衣とし、紙衣道者は只だ紙を披る、玄太上座は只だ布を著る。石霜は枯木堂を置きて衆と与に坐臥す。只儞が心を死了せんことを要す。投子は人をして米を弁じ、同煮共餐せしむ、儞が事を省取することを要得す。且く従上の諸聖、此の如くの榜様有り。若し長処無くんば、如何甘得せん。諸仁者、若也斯に於て体究すれば、的不虧人なり。若也承当を肯せずは、向後深く恐らくは費力せん)。

山僧行業無取、忝主山門。豈可坐費常住、頓忘先聖附属。今者輙欲略学古人為住持体例。与諸人議定、更不下山、不赴斎、不発化主。唯将本院莊課一歳所得、均作三百六十分、日取一分用之、更不隨人添減。可以備飯則作飯、作飯不足則作粥。作粥不足、則作米湯。新到相見、茶湯而已、更不煎点。唯置一茶堂、自去取用。務要省縁、專一弁道

(山僧行業取無くして、忝く山門を主す。豈に坐ら常住を費やし、頓に先聖の附属を忘る可けんや。今は輙ち古人の住持たる体例に略学せんとす。諸人と議定して更に山を下らず、斎に赴かず、化主を発せず。唯、本院の莊課一歳の所得を将て、均しく三百六十分に作して、日に一分を取つて之を用ゐる、更に人に隨つて添減せず。以て飯に備すべきには則ち作飯す、作飯不足なれば則ち作粥す。作粥不足なれば、則ち米湯に作る。新到の相見は、茶湯のみなり、更に煎点せず。唯一の茶堂を置いて、自去取用す。務要省縁し、專一に弁道す)。

又況活計具足、風景不疎。華解笑、鳥解啼。木馬長鳴、石牛善走。天外之青山寡色、耳畔之鳴泉無声。嶺上猿啼、露濕中霄之月。林氐鶴唳、風回清曉之松。春風起時枯木龍吟、秋葉凋而寒林花散。玉階鋪苔蘚之紋、人面帯煙霞之色。音塵寂爾、消息宛然。一味蕭条、無可趣向

(又況んや活計具足し、風景疎ならず。華は笑くことを解し、鳥啼くことを解脱す。木馬長く鳴き、石牛善く走る。天外の青山色寡く、耳畔の鳴泉声無し。嶺上猿啼んで露中霄の月を濕らす。林氐鶴唳いて風清曉の松を回る。春風起こる時枯木龍吟す、秋葉凋みおちて寒林花を散ず。玉階苔蘚の紋を鋪き、人面煙霞の色を帯す。音塵寂爾にして、消息宛然なり。一味蕭条として、趣向すべき無し)。

山僧今日、向諸人面前説家門。已是不著便、豈可更去陞堂入室、拈槌豎払、東喝西棒、張眉努目、如癇病発相似。不唯屈沈上座、況亦辜負先聖

(山僧今日、諸人の面前に向つて家門を説く。已に是れ不著便なり、豈に更に去いて陞堂し入室し、拈槌豎払し、東喝西棒し、張眉怒目して、癇病発相似の如くなるべけんや。唯上座を屈沈するのみにあらず、況に亦先聖を辜負せん)。

儞不見、達磨西来、到少室山下、面壁九年。二祖至立雪断臂、可謂受艱辛。然而達磨不曽措了、二祖不曽問著一句。還喚達磨作不為人得麼、喚二祖做不求師得麼。山僧毎至説著古聖做処、便無覚地容身。慚愧後人軟弱。又況百味珍羞、逓相供養、道我四事具足、方可発心。只恐做手脚不迭、便是隔生隔世去也。時光似箭、深為可惜。雖然如是、更在他人従長相度。山僧也強教儞不得

(儞見ずや、達磨西来して、少室山の下に到つて、面壁九年す。二祖立雪断臂するに至るまで、謂つべし、艱辛を受くと。然れども達磨曽て措了せず、二祖曽て一句を問著せず。還つて達磨を喚んで不為人と作んや、二祖を喚んで不求師と做んや。山僧古聖の做処を説著するに至る毎に、便ち地の容身すべき無きを覚ゆ。慚愧づらくは後人軟弱なること。又況に百味珍羞、逓に相供養し、道ふ、我れは四事具足して、方に発心すべしと。只恐らくは做手脚不迭にして、便ち是れ隔生隔世せん。時光箭に似たり、深く可惜たり。然も是の如くなりと雖も、更に他人の従長して相度する在らん。山僧也強ひて儞に教ふること不得なり)。

諸人者、還見古人偈麼(諸人者、還古人の偈を見るや)、
山田脱粟飯、
野菜淡黄齏、
喫則従君喫、
不喫任東西。

(山田脱粟の飯、野菜淡黄の齏、喫することは則ち君の喫するに従す、喫せざれば東西に任す。)
伏惟同道、各自努力。珍重(伏して惟んみれば同道、各自努力よや。珍重)。

これすなはち祖宗単伝の骨髓なり。
高祖の行持おほしといへども、しばらくこの一枚を挙するなり。いまわれらが晩学なる、芙蓉高祖の芙蓉山に修練せし行持、したひ参学すべし。それすなはち祇園の正儀なり。

洪州江西開元寺大寂禅師、諱道一、漢州十方縣人なり。南嶽に参侍すること十余載なり。あるとき、郷里にかへらんとして半路にいたる。半路よりかへりて焼香礼拝するに、南嶽ちなみに偈をつくりて馬祖にたまふにいはく、

勧君莫帰郷、
帰郷道不行。
竝舍老婆子、
説汝舊時名。

(勧君すらく帰郷すること莫れ、帰郷は道行はれず。竝舍の老婆子、汝が舊時の名を説かん。)

この法話をたまふに、馬祖、うやまひたまはりて、ちかひていはく、われ生々にも漢州にむかはざらんと誓願して、漢州にむかひて一歩をあゆまず。江西に一往して十方を往来せしむ。わづかに即心即仏を道得するほかに、さらに一語の為人なし。しかありといへども南嶽の嫡嗣なり、人天の命脈なり。

いかなるかこれ莫帰郷。莫帰郷とはいかにあるべきぞ。東西南北の帰去来、ただこれ自己の倒起なり。まことに帰郷道不行なり。道不行なる帰郷なりとや行持する、帰郷にあらざるとや行持する、帰郷なにによりてか道不行なる。不行にさへらるとやせん、自己にさへらるとやせん。

竝舍老婆子は説汝舊時名なりとはいはざるなり。竝舍老婆子、説汝舊時名なりといふ道得なり。南嶽いかにしてかこの道得ある、江西いかにしてかこの法語をうる。その道理は、われ向南行するときは大地おなじく向南行するなり、余方もまたしかあるべし。須弥大海を量としてしかあらずと疑殆し、日月星辰に格量して猶滞するは小見なり。

第三十二祖大満禅師は黄梅人なり。俗姓は周氏なり。母の姓を称なり。師は無父而生なり。たとへば、李老君のごとし。七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖正法眼蔵、よくこれを住持し、ひそかに衣法を慧能行者に付属する、不群の行持なり。衣法を神秀にしらせず、慧能に付属するゆゑに正法の寿命不断なるなり。

先師天童和尚は越上人事なり。十九歳にして教学をすてて参学するに、七旬におよんでなほ不退なり。嘉定の皇帝より紫衣師号をたまはるといへどもつひにうけず、修表辭謝す。十方の雲衲ともに崇重す、遠近の有識ともに隨喜するなり。皇帝大絓して御茶をたまふ。しれるものは奇代の事と讃歎す、まことにこれ真実の行持なり。そのゆゑは、愛名は犯禁よりもあし。犯禁は一事の非なり、愛名は一生の累なり。おろかにしてすてざることなかれ、くらくしてうくることなかれ。うけざるは行持なり、すつるは行持なり。

六代の祖師、おのおの師号あるは、みな滅後の勅謚なり、在世の愛名にあらず。しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、仏祖の行持をねがふべし。貪愛して禽獸にひとしきことなかれ。おもからざる吾我をむさぼり愛するは禽獸もそのおもひあり、畜生もそのこころあり。名利をすつることは人天もまれなりとするところ、仏祖いまだすてざるはなし。

あるがいはく、衆生利益のために貪名愛利益すといふ、おほきなる邪説なり。附仏法の外道なり、謗正法の魔党なり。なんぢいふがごとくならば、不貪名利の仏祖は利生なきか。わらふべし、わらふべし。又、不貪の利生あり、いかん。又そこばくの利生あることを学せず、利生にあらざるを利生と称ずる、魔類なるべし。なんぢに利益せられん衆生は、墮獄の種類なるべし。一生のくらきことをかなしむべし、愚蒙を利生に称ずることなかれ。しかあれば、師号を恩賜すとも上表辭謝する、古来の勝躅なり、晩学の参究なるべし。まのあたり先師をみる、これ人にあふなり。

先師は十九歳より離郷尋師、弁道功夫すること、六十五歳にいたりてなほ不退不転なり。帝者に親近せず、帝者にみえず。丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。紫衣師号を表辭するのみにあらず、一生まだらなる袈裟を搭せず、よのつねに上堂入室、みなくろき袈裟裰子をもちゐる。

衲子を教訓するにいはく、参禅学道は第一有道心、これ学道のはじめなり。いま二百来年、祖師道すたれたり、かなしむべし。いはんや一句を道得せる皮袋すくなし。某甲そのかみ径山に掛錫するに、光仏照そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、仏法禅道かならずしも他人の言句をもとむべからず、ただ各自理会。かくのごとくいひて、僧堂裏都不管なりき、雲水兄弟也都不管なり。

祗管与官客相見追尋(祗管に官客と相見追尋)するのみなり。仏照、ことに仏法の機関をしらず、ひとへに貪名愛利のみなり。仏法もし各自理会ならば、いかでか尋師訪道の老古錐あらん。真箇是光仏照、不曽参禅也(真箇是れ光仏照、曽て参禅せざるなり)。いま諸方長老無道心なる、ただ光仏照箇子也。仏法那得他手裏有(仏法那んぞ他が手裏に有ることを得ん)。可惜、可惜。

かくのごとくいふに、仏照児孫おほくきくものあれど、うらみず。

又いはく、参禅者身心脱落也、不用焼香礼拝念仏修懺看経、祗管坐始得(参禅は身心脱落なり、焼香礼拝念仏修懺看経を用ゐず、祗管に坐して始得なり)。

まことに、いま大宋国の諸方に、参禅に名字をかけ、祖宗の遠孫と称ずる皮袋、ただ一、二百のみにあらず、稲麻竹葦なりとも、打坐を打坐に勧誘するともがら、たえて風聞せざるなり。ただ四海五湖のあひだ、先師天童のみなり。諸方もおなじく天童をほむ、天童諸方をほめず。又すべて天童をしらざる大刹の主もあり。これは中華にむまれたりといへども、禽獸の流類ならん。参ずべきを参ぜず、いたづらに光陰を蹉過するがゆゑに。あはれむべし、天童をしらざるやからは、胡説乱道をかまびすしくするを仏祖の家風と錯認せり。

先師よのつねに普説す、われ十九載よりこのかた、あまねく諸方の叢林をふるに、為人師なし。十九載よりこのかた、一日一夜も不礙蒲団の日夜あらず。某甲未住院よりこのかた、郷人とものがたりせず。光陰をしきによりてなり。掛錫の所在にあり、庵裏寮舍すべていりてみることなし。いはんや游山翫水に功夫をつひやさんや。雲堂公界の坐禅のほか、あるいは閣上、あるいは屏処をもとめて、独子ゆきて、穏便のところに坐禅す。

つねに袖裏に蒲団をたづさへて、あるいは岩下にも坐禅す。つねにおもひき、金剛座を坐破せんと。これ、もとむる所期なり。臀肉の爛壊するときどきもありき。このとき、いよいよ坐禅をこのむ。某甲今年六十五載、老骨頭懶、不会坐禅なれども、十方兄弟をあはれむによりて、住持山門、曉諭方来、為衆伝道なり。諸方長老、那裏有什麼仏法なるゆゑに。
かくのごとく上堂し、かくのごとく普説するなり。
又、諸方の雲水の人事の産をうけず。

趙提挙は嘉定聖主の胤孫なり。知明州軍州事、管内勧農使なり。先師を請じて州府につきて陞座せしむるに、銀子一万鋋を布施す。

先師、陞座了に、提挙にむかうて謝していはく、某甲依例出山陞座、開演正法眼蔵涅槃妙心、謹以薦福先公冥府。只是銀子、不敢拝領。僧家不要這般物子。千万賜恩、依舊拝還(某甲例に依つて出山して陞座し、正法眼蔵涅槃妙心を開演す。謹んで以て先公の冥府に薦福す。只だ是の銀子、敢へて拝領せじ。僧家、這般の物子を要せず。千万賜恩、舊に依つて拝還せん)。

提挙いはく、和尚、下官悉以皇帝陛下親族、到処且貴、宝貝見多。今以先父冥福之日、欲資冥府。和尚如何不納。今日多幸、大慈大悲、卒留小襯(和尚、下官悉く皇帝陛下の親族なるを以て、到る処に且つ貴なり、宝貝見に多し。今、先父の冥福の日を以て、冥府に資せんと欲ふ。和尚如何不納めたまはざる。今日多幸、大慈大悲をもて、小襯を卒留したまへ)。

先師曰、提挙台命且厳、不敢遜謝。只有道理、某甲陞座説法、提挙聡聴得否(提挙の台命且つ厳なり、敢へて遜謝せず。只し道理有り、某甲陞座説法す、提挙聡かに聴得すや否や)。

提挙曰、下官只聴歓喜(下官只だ聴いて歓喜す)。
先師いはく、提挙聡明、照鑑山語、不勝皇恐。更望台臨、鈞候万福。山僧陞座時、説得甚麼法。試道看。若道得、拝領銀子一万鋋、若道不得、便府使收銀子(提挙聡明にして、山語を照鑑す、皇恐に勝へず。更に望むらくは台臨、鈞候万福。山僧陞座の時、甚麼の法をか説得する。試道看。若し道ひ得ば、銀子一万鋋を拝領せん。若し道ひ得ずは、便ち府使銀子を收めよ)。
提挙起向先師曰、即辰伏惟、和尚法候、動止万福。
先師いはく、這箇是挙来底、那箇是聴得底(這箇は是れ挙し来る底、那箇か是れ聴得底なる)。
提挙擬議。
先師いはく、先公冥福円成、襯施且待先公台判(先公冥福円成なり、襯施は且く先公の台判を待つべし)。

かくのごとくいひて、すなはち請暇するに、提挙いはく、未恨不領、且喜見師(未だ不領なるをば恨みず、且喜ぶ師を見ることを)。
かくのごとくてひて、先師をおくる。浙東浙西の道俗、おほく讃歎す。このこと、平侍者が日録にあり。
平侍者いはく、這老和尚、不可得人。那裏容易得見(這の老和尚は、不可得人なり。那裏にか容易く見ることを得ん)。
たれか諸方にうけざる人あらん、一万鋋の銀子。ふるき人のいはく、金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし。たとひ金銀のごとくみるとも、不受ならんは衲子の風なり。先師にこの事あり、余人にこのことなし。
先師つねにいはく、三百年よりこのかた、わがごとくなる知識いまだいでず。諸人審細に弁道功夫すべし。

先師の会に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは道家流なり。徒儻五人、ともにちかうていはく、われら一生に仏祖の大道を弁取すべし。さらに郷土にかへるべからず。
先師ことに隨喜して、経行道業ともに衆僧と一如ならしむ。その排列のときは比丘尼のしもに排立す、奇代の勝躅なり。

又、福州の僧、その名善如、ちかひていはく、善如平生さらに一歩をみなみにむかひてうつすべからず。もはら仏祖の大道を参ずへし。
先師の会に、かくのごとくのたぐひあまたあり。まのあたりみしところなり。余師のところになしといへども、大宋国の僧宗の行持なり。われらにこの心操なし、かなしむべし。仏法にあふときなほしかあり、仏法にあはざらんときの身心、はぢてもあまりあり。

しづかにおもふべし、一生いくばくにあらず、仏祖の語句、たとひ三々両々なりとも、道得せんは仏祖を道得せるならん。ゆゑはいかん。仏祖は身心如一なるがゆゑに、一句両句、みな仏祖のあたたかなる身心なり。かの身心きたりてわが身心を道得す。正当道取時、これ道得きたりてわが身心を道取するなり。此生道取累生身なるべし。かるがゆゑに、ほとけとなり祖となるに、仏をこゑ祖をこゆるなり。三々両々の行持の句、それかくのごとし。いたづらなる声色の名利に馳騁することなかれ。馳騁せざれば、仏祖単伝の行持なるべし。すすむらくは大隠小隠、一箇半箇なりとも、万事万縁をなげすてて、行持を仏祖に行持すべし。

仏祖行持

仁治三年壬寅四月五日書于観音導利興聖宝林寺

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