曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

「正法眼蔵」行持(ぎょうじ)上

投稿日:2020年9月24日 更新日:

仏祖の大道、かならず無上の行持あり。道環して断絶せず、発心修行、菩提涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。このゆゑに、みづからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曽染汚の行持なり。

この行持の功徳、われを保任し、他を保任す。その宗旨は、わが行持、すなはち十方の匝地漫天みなその功徳をかうむる。他もしらず、われもしらずといへども、しかあるなり。このゆゑに、諸仏諸祖の行持によりてわれらが行持見成し、われらが大道通達するなり。われらが行持によりて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり。われらが行持によりて、この道環の功徳あり。これによりて、仏々祖々、仏住し、仏非し、仏心し、仏成じて断絶せざるなり。

この行持によりて日月星辰あり、行持によりて大地虚空あり、行持によりて依正身心あり、行持によりて四大五蘊あり。行持これ世人の愛処にあらざれども、諸人の実帰なるべし。過去現在未来の諸仏の行持によりて、過去現在未来の諸仏は現成するなり。その行持の功徳、ときにかくれず、かるがゆゑに発心修行す。その功徳、ときにあらはれず、かるがゆゑに見聞覚知せず。

あらはれざれども、かくれずと参学すべし。隠顕存没に染汚せられざるがゆゑに、われを見成する行持、いまの当隠に、これいかなる縁起の諸法ありて行持すると不会なるは、行持の会取、さらに新条の特地にあらざるによりてなり。縁起は行持なり、行持は縁起せざるがゆゑにと、功夫参学を審細にすべし。かの行持を見成する行持は、すなはちこれわれらがいまの行持なり。行持のいまは自己の本有元住にあらず、行持のいまは自己に去来出入するにあらず。いまといふ道は、行持よりさきにあるにはあらず、行持現成するをいまといふ。

しかあればすなはち、一日の行持、これ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。この行持に諸仏見成せられ、行持せらるるを、行持せざるは、諸仏をいとひ、諸仏を供養せず、行持をいとひ、諸仏と同生同死せず、同学同参せざるなり。いまの花開葉落、これ行持の見成なり。磨鏡破鏡、それ行持にあらざるなし。このゆゑに行持をさしおかんと擬するは、行持をのがれんとする邪心をかくさんがために、行持をさしおくも行持なるによりて、行持におもむかんとするは、なほこれ行持をこころざすににたれども、真父の家郷に宝財をなげすてて、さらに他国跉跰(りょうび)の窮子となる。跉跰のときの風水、たとひ身命を喪失せしめずといふとも、真父の宝財なげすつべきにあらず。真父の法財なほ失誤するなり。このゆゑに、行持はしばらくも懈倦なき法なり。

慈父大師釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して、三十歳の仏寿にいたりて、大地有情同時成道の行持あり。八旬の仏寿にいたるまで、なほ山林に行持し、精藍に行持す。王宮にかへらず、国利を領ぜず、布僧伽梨を衣持し、在世に一経するに互換せず、一盂在世に互換せず。一時一日も独処することなし。人天の閑供養を辞せず、外道の訕謗を忍辱す。おほよそ一化は行持なり、浄衣乞食の仏儀、しかしながら行持にあらずといふことなし。

第八摩訶迦葉尊者は、釈尊の嫡嗣なり。生前もはら十二頭陀を行持して、さらにおこたらず。十二頭陀といふは、
一者不受人請、日行乞食。亦不受比丘僧一飯食分銭財(一つには人の請を受けず、日に乞食を行ず。亦比丘僧の一飯食分の銭財を受けず)。
二者止宿山上、不宿人舍郡縣聚落(二つには山上に止宿して、人舍郡縣聚落に宿せず)。
三者不得従人乞衣被、人与衣被亦不受。但取丘筭間死人所棄衣、補治衣之(三つには人に従つて衣被を乞ふことを得ず、人の与ふる衣被をも亦受けず。但丘筭間の、死人の棄つる所の衣を取つて、補治して之を衣る)。
四者止宿野田中樹下(四つには野田の中の樹下に止宿す)。
五者一日一食。一僧迦僧名泥(五つには一日に一食す。一は僧迦僧泥と名づく)。
六者昼夜不臥、但坐睡経行。一名僧泥沙者傴(六つには昼夜不臥なり、但坐睡経行す。一は僧泥沙者傴と名づく)。
七者有三領衣、無有余衣。亦不臥被中(七つには三領衣を有ちて、余衣を有すること無し。亦被中に臥せず)。
八者在筭間、不在仏寺中、亦不在人間。目視死人骸骨、坐禅求道(八つには筭間に在んで、仏寺の中に在まず、亦人間に在まず。目に死人骸骨を視て、坐禅求道す)。
九者但欲独処。不欲見人、亦不欲与人共臥(九つには但独処を欲ふ。人を見んと欲はず、亦人と共に臥せんと欲はず)。
十者先食果蓏、却食飯。食已不得復食果蓏(十には先に果蓏を食し、却りて飯を食す。食し已りて復果蓏を食することを得ず)。
十一者但欲露臥、不在樹下屋宿(十一には但だ露臥を欲ふ、樹下屋宿に在まず)。
十二者不食肉、亦不食醍醐。麻油不塗身(十二には肉を食せず、亦醍醐を食せず。麻油身に塗らず)。

これを十二頭陀といふ。摩訶迦葉尊者、よく一生に不退不転なり。如来の正法眼蔵を正伝すといへども、この頭陀を退することなし。

あるとき仏言すらく、なんぢすでに年老なり、僧食を食すべし。
摩訶迦葉尊者いはく、われもし如来の出世にあはずは、辟支仏となるべし、生前に山林に居すべし。さいはひに如来の出世にあふ、法のうるひあり。しかりといふとも、つひに僧食を食すべからず。

如来称讃しまします。
あるいは迦葉、頭陀行持のゆゑに、形体憔悴せり。衆みて軽忽するがごとし。ときに如来、ねんごろに迦葉をめして、半座をゆづりまします。迦葉尊者、如来の座に坐す。しるべし、摩訶迦葉は仏会の上座なり。生前の行持、ことごとくあぐべからず。

第十波栗濕縛尊者は、一生脇不至席なり。これ八旬老年の弁道なりといへども、当時すみやかに大法を単伝す。これ光陰をいたづらにもらさざるによりて、わづかに三箇年の功夫なりといへども、三菩提の正眼を単伝す。尊者の在胎六十年なり、出胎白髪なり。

誓不屍臥、名脇尊者。乃至暗中手放光明、以取経法(誓つて屍臥せず、脇尊者と名づく。乃至暗中に手より光明を放つて、以て経法を取る)。
これ生得の奇相なり。

脇尊者、生年八十、垂捨家染衣。城中少年、便誚之曰、愚夫朽老、一何浅智。夫出家者、有二業焉。一則習定、二乃誦経。而今衰耄、無所進取。濫迹清流、徒知飽食

(脇尊者、生年八十にして、捨家染衣せんと垂。城中の少年、便ち之を誚めて曰く、愚夫朽老なり、一に何ぞ浅智なる。夫れ出家は、二業有り。一には則ち習定、二には乃ち誦経なり。而今衰耄せり、進取する所無けん。濫に清流に迹し、徒に飽食することを知らんのみ)。

時脇尊者、聞諸譏議、因謝時人、而自誓曰、我若不通三蔵理、不断三界欲、不得六神通、不具八解脱、終不以脇至於席

(時に脇尊者、諸の譏議を聞いて、因みに時の人に謝して、而も自ら誓て曰く、我れ若し三蔵の理を通ぜず、三界の欲を断ぜず、六神通を得ず、八解脱を具せずは、終に脇を以て席に至けじ)。

自爾之後、唯日不足、経行宴坐、住立思惟。昼則研習理教、夜乃静慮凝神。綿歴三歳、学通三蔵、断三界欲、得三明智。時人敬仰、因号脇尊者

(爾より後、唯日も足らず、経行宴坐し、住立思惟す。昼は則ち理教を研習し、夜は乃ち静慮凝神す。三蔵を綿歴するに、学三蔵を通じ、三界の欲を断じ、三明の智を得。時の人敬仰して、因に脇尊者と号す)。

しかあれば、脇尊者処胎六十年はじめて出胎せり。胎内に功夫なからんや。出胎よりのち八十にならんとするに、はじめて出家学道をもとむ。託胎よりのち一百四十年なり。まことに不群なりといへども、朽老は阿誰よりも朽老ならん。処胎にて老年あり、出胎にても老年なり。しかあれども、時人の譏嫌をかへりみず、誓願の一志不退なれば、わづかに三歳をふるに、弁道現成するなり。たれか見賢思斉をゆるくせむ、年老耄及をうらむることなかれ。

この生しりがたし、生か、生にあらざるか。老か、老にあらざるか。四見すでにおなじからず、諸類の見おなじからず。ただ志気を專修にして、弁道功夫すべきなり。弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし、生死に弁道するにはあらず。いまの人、あるいは五旬六旬におよび、七旬八旬におよぶに、弁道をさしおかんとするは至愚なり。生来たとひいくばくの年月と覚知すとも、これはしばらく人間の精魂の活計なり、学道の消息にあらず。壯齡耄及をかへりみることなかれ、学道究弁を一志すべし。脇尊者に斉肩なるべきなり。

筭間の一堆の塵土、あながちにをしむことなかれ、あながちにかへりみることなかれ。一志に度取せずば、たれかたれをあはれまん。無主の形骸いたづらに徧野せんとき、眼睛をつくるがごとく正観すべし。

六祖は新州の樵夫なり、有識と称じがたし。いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。樵夫の業を養母の活計とす。十字の街頭にして一句の聞経よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたづぬ。これ奇代の大器なり、拔群の弁道なり。断臂たとひ容易なりとも、この割愛は大難なるべし、この棄恩はかろかるべからず。黄梅の会に投じて八箇月、ねぶらず、やすまず、昼夜に米をつく。夜半に衣鉢を正伝す。得法已後、なほ石臼をおひありきて、米をつくこと八年なり。出世度人説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり。

江西馬祖の坐禅することは二十年なり。これ南嶽の密印を稟受するなり。伝法済人のとき、坐禅をさしおくと道取せず。参学のはじめていたるには、かならず心印を密受せしむ。普請作務のところに、かならず先赴す。老にいたりて懈倦せず。いまの臨済は江西の流なり。

雲巖和尚と道悟と、おなじく薬山に参学して、ともにちかひをたてて、四十年わきを席につけず、一味参究す。法を洞山の悟本大師に伝付す。
洞山いはく、われ、欲打成一片、坐禅弁道已二十年(一片に打成せんと欲して、坐禅弁道すること已に二十年なり)。
いまその道、あまねく伝付せり。

雲居山弘覚大師、そのかみ三峰庵に住せしとき、天廚送食す。大師あるとき洞山に参じて、大道を決擇して、さらに庵にかへる。天使また食を再送して師を尋見するに、三日をへて師をみることをえず。天廚をまつことなし、大道を所宗とす。弁肯の志気、おもひやるべし。

百丈山大智禅師、そのかみ馬祖の侍者とありしより、入寂のゆふべにいたるまで、一日も為衆為人の勤仕なき日あらず。かたじけなく一日不作、一日不食のあとをのこすといふは、百丈禅師すでに年老臘高なり。なほ普請作務のところに、壯齡と同じく勵力す。衆、これをいたむ。人、これをあはれむ。師、やまざるなり。つひに作務のとき、作務の具をかくして師にあたへざりしかば、師、その日一日不食なり。衆の作務にくははらざることをうらむる意旨なり。これを百丈の一日不作、一日不食のあとといふ。いま大宋国に流伝せる臨済の玄風ならびに諸方叢林、おほく百丈の玄風を行持するなり。

鏡清和尚住院のとき、土地神かつて師顔をみることをえず、たよりをえざるによりてなり。
三平山義忠禅師、そのかみ天廚送食す。大巓をみてのちに、天神また師をもとむるに、みることあたはず。

後大潙和尚いはく、我二十年在潙山、喫潙山飯、屙潙山屙、不参潙山道。只牧得一頭水牯牛、終日露回々也

(我れ二十年潙山に在て、潙山の飯を喫し、潙山の屙を屙し、潙山道に参ぜず。只一頭の水牯牛を牧得して、終日露回々なり)。

しるべし、一頭の水牯牛は二十年在潙山の行持より牧得せり。この師、かつて百丈の会下に参学しきたれり。しづかに二十年中の消息おもひやるべし、わするる時なかれ。たとひ参潙山道する人ありとも、不参潙山道の行持はまれなるべし。

趙州観音院真際大師従諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて発心求道をこころざす。瓶錫をたづさへて行脚し、遍歴諸方するに、つねにみづからいはく、七歳童児、若勝我者、我即問伊。百歳老翁、不及我者、我即教他(七歳の童児なりとも、若し我れよりも勝れば、我即ち伊に問ふべし。百歳の老翁も、我に及ばざれば、我即ち他を教ふべし)。

かくのごとくして南泉の道を学得する功夫、すなはち二十年なり。年至八十のとき、はじめて趙州城東観音院に住して、人天を化導すること四十年来なり。いまだかつて一封の書をもて檀那につけず。僧堂おほきならず、前架なし、後架なし。あるとき、床脚をれき。一隻の焼断の燼木を、縄をもてこれをゆひつけて、年月を経歴し修行するに、知事この床脚をかへんと請ずるに、趙州ゆるさず。古仏祖の家風、きくべし。

趙州の趙州に住することは八旬よりのちなり、伝法よりこのかたなり。正法正伝せり、諸人これを古仏といふ。いまだ正法正伝せざらん余人は師よりもかろかるべし、いまだ八旬にいたらざらん余人は師よりも強健なるべし。壯年にして軽爾ならんわれら、なんぞ老年の崇重なるとひとしからん。はげみて弁道行持すべきなり。

四十年のあひだ世財をたくはへず、常住に米穀なし。あるいは栗子椎子をひろふて食物にあつ、あるいは旋転飯食す。まことに上古龍象の家風なり、恋慕すべき操行なり。
あるとき衆にしめしていはく、儞若一生不離叢林、不語十年五載、無人換儞作唖漢、已後諸仏也不奈儞何(儞若し一生叢林を離れず、不語なること十年五載ならんには、人の儞を喚んで唖漢と作る無し、已後には諸仏も也不奈儞何ならん)。これ行持をしめすなり。

しるべし、十年五載の不語、おろかなるに相似せりといへども、不離叢林の功夫によりて、不語なりといへども唖漢にあらざらん。仏道かくのごとし。仏道声をきかざらんは、不語の不唖漢なる道理あるべからず。しかあれば、行持の至妙は不離叢林なり。不離叢林は脱落なる全語なり。至愚のみづからは不唖漢をしらず、不唖漢をしらせず。阿誰か遮障せざれども、しらせざるなり。不唖漢なるを得恁麼なりときかず、得恁麼なりとしらざらんは、あはれむべき自己なり。不離叢林の行持、しづかに行持すべし。東西の風に東西することなかれ。十年五載の春風秋月、しらざれども声色透脱の道あり。その道得、われに不知なり、われに不会なり。行持の寸陰を可惜許なりと参学すべし。不語を空然なるとあやしむことなかれ。入之一叢林なり、出之一叢林なり。鳥路一叢林なり、徧界一叢林なり。

大梅山は慶元府にあり。この山に護聖寺を草創す、法常禅師その本元なり。禅師は襄陽人なり。かつて馬祖の会に参じてとふ、如何是仏と。
馬祖云く、即心是仏と。
法常このことばをききて、言下大悟す。ちなみに大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に独居す。松実を食し、荷葉を衣とす。かの山に少池あり、池に荷おほし。

坐禅弁道すること三十余年なり。人事たえて見聞せず、年暦おほよそおぼえず、四山青又黄のみをみる。おもひやるにはあはれむべき風霜なり。

師の坐禅には、八寸の鐵塔一基を頂上におく、如載宝冠なり。この塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねぶらざるなり。その塔いま本山にあり、庫下に交割す。かくのごとく弁道すること、死にいたりて懈倦なし。

かくのごとくして年月を経歴するに、鹽官の会より一僧きたりて、山にいりて挂杖をもとむるちなみに、迷山路して、はからざるに師の庵所にいたる。不期のなかに師をみる、すなはちとふ、和尚、この山に住してよりこのかた、多少時也。
師いはく、只見四山青又黄(只四山の青又黄なるを見るのみ)。
この僧またとふ、出山路、向什麼処去(出山の路、什麼の処に向ひてか去かん)。
師いはく、隨流去(流れに隨ひて去くべし)。

この僧あやしむこころあり。かへりて鹽官に挙似するに、鹽官いはく、そのかみ江西にありしとき、一僧を曽見す。それよりのち消息をしらず。莫是此僧否(是れ此の僧に莫ずや否や)。

つひに僧に命じて、師を請ずるに出山せず。偈をつくりて答するにいはく、
摧殘枯木倚寒林、
幾度逢春不変心。
樵客遇之猶不顧、
郢人那得苦追尋。

(摧殘の枯木寒林に倚る、幾度か春に逢うて心を変ぜず。樵客之に遇うて猶顧みず、郢人那ぞ苦に追尋することを得ん。)

つひにおもむかず。これよりのちに、なほ山奥へいらんとせしちなみに、有頌するにいはく、
一池荷葉衣無尽、
数樹松花食有余。
剛被世人知住処、
更移茅舍入深居。

(一池の荷葉衣るに尽くること無し、数樹の松花食するに余有り。剛世人に住処を知らる、更に茅舍を移して深居に入る。)

つひに庵を山奥にうつす。
あるとき、馬祖ことさら僧をつかはしてとはしむ、和尚そのかみ馬祖を参見せしに、得何道理、便住此山(何の道理を得てか便ち此山に住する)なる。
師いはく、馬祖、われにむかひていふ、即心是仏。すなはちこの山に住す。
僧いはく、近日は仏法また別なり。
師いはく、作麼生別なる。
僧いはく、馬祖いはく、非心非仏とあり。
師いはく、這老漢、ひとを惑乱すること了期あるべからず。任他非心非仏、我祗管即心是仏(さもあらばあれ非心非仏、我れは祗管に心是仏なり)。
この道をもちて馬祖に挙似す。
馬祖いはく、梅子熟也(梅子熟せり)。

この因縁は、人天みなしれるところなり。天龍は師の神足なり、倶胝は師の法孫なり。高麗の迦智は、師の法を伝持して本国の初祖なり。いま高麗の諸師は師の遠孫なり。

生前には一虎一象、よのつねに給侍す、あひあらそはず。師の円寂ののち、虎象いしをはこび、泥をはこびて師の塔をつくる。その塔いま護聖寺に現存せり。
師の行持、むかしいまの知識とあるは、おなじくほむるところなり。劣慧のものはほむべしとしらず。貪名愛利のなかに仏法あらましと強為するは小量の愚見なり。

五祖山の法演禅師いはく、師翁はじめて楊岐に住せしとき、老屋敗椽して、風雨之敝はなはだし。ときに冬暮なり、殿堂ことごとく舊損せり。そのなかに僧堂ことにやぶれ、雪霰満床、居不遑処(雪霰床に満ちて、居、処るに遑あらず)なり。雪頂の耆宿なほ澡雪し、厖眉の尊年、皺眉のうれへあるがごとし。衆僧やすく坐禅することなし。衲子、投誠して修造せんことを請ぜしに、師翁却之いはく、我仏有言、時当減劫、高岸深谷、遷変不常。安得円満如意、自求称足(我仏言へること有り、時、減劫に当つて、高岸深谷、遷変して常ならず。安くんぞ円満如意にして、自ら称足なるを求むることを得ん)ならん。古往の聖人、おほく樹下露地に経行す。古来の勝躅なり、履空の玄風なり。なんだち出家学道する、做手脚なほいまだおだやかならず。わづかにこれ四五十歳なり、たれかいたづらなるいとまありて豊屋をこととせん。つひに不従なり。

翌日に上堂して、衆にしめしていはく、
楊岐乍住屋壁疎、
満床尽撒雪珍珠。
縮却項、暗嗟嘘、
翻憶古人樹下居。

(楊岐乍めて住す屋壁疎かなり、満床尽く雪の珍珠を撒らす。項を縮却て、暗に嗟嘘す、翻つて憶ふ、古人樹下に居せしことを。)

つひにゆるさず。
しかあれども、四海五湖の雲衲霞袂、この会に掛錫するを、ねがふところとせり。耽道の人おほきことをよろこぶべし。この道、こころにそむべし、この語、みに銘すべし。

演和尚、あるときしめしていはく、行無越思、思無越行(行は思を越ゆることなく、思は行を越ゆることなし)。

この語、おもくすべし。日夜思之、朝夕行之(日夜に之を思ひ、朝夕に之を行ふ)、いたづらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。いはんやこの日本国は、王臣の宮殿なほその豊屋にあらず、わづかにおろそかなる白屋なり。出家学道の、いかでか豊屋に幽棲するあらん。もし豊屋をえたるは、邪命にあらざるなし、清浄なるまれなり。もとよりあらんは論にあらず、はじめてさらに経営することなかれ。草庵白屋は、古聖の所住なり、古聖の所愛なり。晩学したひ参学すべし、たがゆることなかれ。黄帝尭舜等は、俗なりといへども草屋に居す、世界の勝躅なり。

尸子曰、欲観黄帝之行、於合宮。欲観尭舜之行、於總章。黄帝明堂以草蓋之、名曰合宮。舜之明堂以草蓋之、名曰總章(尸子曰く、黄帝の行を観んと欲はば、合宮に於てすべし。尭舜の行を観んと欲はば、總章に於てすべし。黄帝の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて合宮と曰ふ。舜の明堂は草を以て之を蓋く、名づけて總章と曰ふ)。

しるべし、合宮總章はともに草をふくなり。いま黄帝尭舜をもてわれらにならべんとするに、なほ天地の論にあらず。これなほ草蓋を明堂とせり。俗なほ草屋に居す、出家人いかでか高堂大観を所居に擬せん。慚愧すべきなり。古人の樹下に居し、林間にすむ、在家出家ともに愛する所住なり。黄帝は崆峒道人広成の弟子なり、広成は崆峒といふ巖のなかにすむ。いま大宋国の国王大臣、おほくこの玄風をつたふるなり。

しかあればすなはち、塵労中人なほかくのごとし。出家人いかでか塵労中人より劣ならん、塵労中人よりもにごれらん。向来の仏祖のなかに、天の供養をうくるおほし。しかあれども、すでに得道のとき、天眼およばず、鬼神たよりなし。そのむね、あきらむべし。天衆神道もし仏祖の行履をふむときは、仏祖にちかづくみちあり。仏祖あまねく天衆神道を超証するには、天衆神道はるかに見上のたよりなし、仏祖のほとりにちかづきがたきなり。

南泉いはく、老僧修行のちからなくして鬼神に覷見せらる。しるべし、無修の鬼神に覷見せらるるは、修行のちからなきなり。

太白山宏智禅師正覚和尚の会に、護伽藍神いはく、われきく、覚和尚この山に住すること十余年なり。つねに寢堂にいたりてみんとするに、不能前なり、未之識なり。
まことに有道の先蹤にあひあふなり。この天童山は、もとは小院なり。覚和尚の住裡に、道士観、尼寺、教院等を掃除して、いまの景徳寺となせり。

師、遷化ののち、左朝奉大夫侍御史王伯庠、因に師の行業記を記するに、ある人いはく、かの道士観、尼寺、教院をうばひて、いまの天童寺となせることを記すべし。御史いはく不可也。此事非僧徳矣(不可なり、此の事、僧徳に非ず)。ときの人、おほく侍御史をほむ。

しるべし、かくのごとくの事は俗の能なり、僧の徳にあらず。おほよそ仏道に登入する最初より、はるかに三界の人天をこゆるなり。三界の所使にあらず、三界の所見にあらざること、審細に咨問すべし。身口意および依正をきたして功夫参究すべし。仏祖行持の功徳、もとより人天を済度する巨益ありとも、人天さらに仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり。

いま仏祖の大道を行持せんには、大隠小隠を論ずることなく、聡明鈍癡をいとふことなかれ。ただながく名利をなげすてて、万縁に繋縛せらるることなかれ。光陰をすごさず、頭燃をはらふべし。大悟をまつことなかれ、大悟は家常の茶飯なり。不悟をねがふことなかれ、不悟は髻中の宝珠なり。ただまさに家郷あらんは家郷をはなれ、恩愛あらんは恩愛をはなれ、名あらんは名をのがれ、利あらんは利をのがれ、田園あらんは田園をのがれ、親族あらんは親族をはなるべし。

名利等なからんも又はなるべし。すでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理あきらかなり。それすなはち一条の行事なり。生前に名利をなげすてて一事を行持せん、仏寿長遠の行事なり。いまこの行持、さだめて行持に行持せらるるなり。この行持あらん身心、みづからも愛すべし、みづからもうやまふべし。

大慈寰中禅師いはく、説得一丈、不如行取一尺。説得一尺、不如行取一寸(一丈を説得せんよりは、一尺を行取せんに如かず。一尺を説得せんよりは、一寸を行取せんに如かず)。

これは、時人の行持おろそかにして仏道の神通達をわすれたるがごとくなるをいましむるににたりといへども、一丈の説は不是とにはあらず、一尺の行は一丈説よりも大功なりといふなり。なんぞただ丈尺の度量のみならん、はるかに須弥と芥子との論功もあるべきなり。須弥に全量あり、芥子に全量あり。行持の大節、これかくのごとし。いまの道得は寰中の自為道にあらず、寰中の自為道なり。

洞山悟本大師道、説取行不得底、行取説不得底(行不得底を説取し、説不得底を行取す)。
これ高祖の道なり。その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。しかあれば、終日とくところに終日おこなふなり。その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。

雲居山弘覚大師、この道を七通八達するにいはく、説時無行路、行時無説路。
この道得は、行説なきにあらず、その説時は、一生不離叢林なり。その行時は、洗頭到雪峰前なり。説時無行路、行時無説路、さしおくべからず、みだらざるべし。

古来の仏祖いひきたれることあり、いはゆる若人生百歳、不会諸仏機、未若生一日、而能決了之(若し人、生きて百歳あらんも、諸仏の機を会せずは、未だ生きて一日にして、能く之を決了せんには若かじ)。

これは一仏二仏のいふところにあらず、諸仏の道取しきたれるところ、諸仏の行取しきたれるところなり。百千万劫の回生回死のなかに、行持ある一日は、髻中の明珠なり、同生同死の古鏡なり。よろこぶべき一日なり、行持力みづからよろこばるるなり。行持のちからいまだいたらず、仏祖の骨髓うけざるがごときは、仏祖の身心ををしまず、仏祖の面目をよろこばざるなり。仏祖の面目骨髓、これ不去なり、如去なり、如来なり、不来なりといへども、かならず一日の行持に稟受するなり。

しかあれば、一日はおもかるべきなり。いたづらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。たとひ百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。この一日の身命はたふとぶべき身命なり。たふとぶべき形骸なり。かるがゆゑに、いけらんこと一日ならんは、諸仏の機を会せば、この一日を曠劫多生にもすぐれたりとするなり。このゆゑに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたづらにつかふことなかれ。この一日はをしむべき重宝なり。尺璧の價直に擬すべからず、驪珠にかふることなかれ。古賢をしむこと身命よりもすぎたり。

しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん。一生百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたたびうることなからん。いづれの善巧方便ありてか、すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり。もしいたづらにすごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。しかあるを、古聖先賢は、日月ををしみ光陰ををしむこと、眼睛よりもをしむ、国土よりもをしむ。そのいたづらに蹉過するといふは、名利の浮世に濁乱しゆくなり。いたづらに蹉過せずといふは、道にありながら道のためにするなり。

すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし。ひとへに道のために行取し、道のために説取すべし。このゆゑにしりぬ、古来の仏祖いたづらに一日の功夫をつひやさざる儀、よのつねに観想すべし。遅々花日も明窓に坐しておもふべし、蕭々雨夜も白屋に坐してわするることなかれ。光陰なにとしてかわが功夫をぬすむ。一日をぬすむのみにあらず、多劫の功徳をぬすむ。光陰とわれと、なんの怨家ぞ。うらむべし、わが不修のしかあらしむるなるべし。われ、われとしたしからず、われ、われをうらむるなり。仏祖も恩愛なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。仏祖も諸縁なきにあらず、しかあれどもなげすてきたる。たとひをしむとも、自他の因縁をしまるべきにあらざるがゆゑに。われもし恩愛をなげすてずは、恩愛かへりてわれをなげすつべき云為あるなり。恩愛をあはれむべくは恩愛をあはれむべし。恩愛をあはれむといふは、恩愛をなげすつるなり。

南嶽大慧禅師懐譲和尚、そのかみ曹谿に参じて、執侍すること十五秋なり。しかうして伝道授業すること、一器水瀉一器(一器の水を一器に写す)なることをえたり。古先の行履、もとも慕古すべし。十五秋の風霜、われをわづらはすおほかるべし。しかあれども純一に究弁す、これ晩進の亀鏡なり。寒爐に炭なく、ひとり虚堂にふせり、涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する、たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり。これ行持なるべし。

おほよそ、ひそかに貪名愛利をなげすてきたりぬれば、日々に行持の積功のみなり。このむね、わするることなかれ。説似一物即不中は、八箇年の行持なり。古今まれなりとするところ、賢不肖ともにこひねがふ行持なり。

香厳の智閑禅師は、大潙に耕道せしとき、一句を道得せんとするに数番つひに道不得なり。これをかなしみて、書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて年月を経歴しき。のちに武当山にいりて、大証の舊跡をたづねて結草為庵し、放下幽棲す。一日わづかに道路を併浄するに、礫のほどばしりて竹にあたりて声をなすによりて、忽然として悟道す。のちに香厳寺に住して、一盂一衲を平生に不換なり。奇巖清泉をしめて、一生偃息の幽棲とせり。行跡おほく本山にのこれり。平生に山をいでざりけるといふ。

臨済院慧照大師は、黄檗の嫡嗣なり。黄檗の会にありて三年なり。純一に弁道するに、睦州陳尊宿の教訓によりて、仏法の大意を黄檗にとふこと三番するに、かさねて六十棒を喫す。なほ勵志たゆむことなし。大愚にいたりて大悟することも、すなはち黄檗睦州両尊宿の教訓なり。祖席の英雄は臨済徳山といふ。しかあれども、徳山いかにしてか臨済におよばん。まことに臨済のごときは群に群せざるなり。そのときの群は、近代の拔群よりも拔群なり。行業純一にして行持拔群せりといふ、幾枚幾般の行持なりとおもひ、擬せんとするに、あたるべからざるものなり。

師在黄檗、与黄檗栽杉松次、黄檗問師曰、深山裏、栽許多樹作麼(師、黄檗に在りしとき、黄檗と与に杉松を栽うる次でに、黄檗、師に問うて曰く、深山の裏に、許多の樹を栽ゑて作麼)。

師曰、一与山門為境致、二与後人作標榜、乃将鍬拍地両下(師曰く、一には山門の与に境致と為し、二には後人の与に標榜と作す、乃ち鍬を将て地を拍つこと両下す)。

黄檗拈起挂杖曰、雖然如是、汝已喫我三十棒了也(黄檗挂杖を拈起して曰く、然も是の如くなりと雖も、汝已に我が三十棒を喫し了れり)。

師作嘘々声(師、嘘々声をなす)。

黄檗曰、吾宗到汝大興於世(黄檗曰く、吾が宗汝に到つて大きに世に興らん)。

しかあればすなはち、得道ののちも杉松などをうゑけるに、てづからみづから鍬柄をたづさへけるとしるべし。吾宗到汝大興於世、これによるべきものならん。栽松道者の古蹤、まさに単伝直指なるべし。黄檗も臨済とともに栽樹するなり。黄檗のむかしは、捨衆して、大安精舍の労侶に混迹して、殿堂を掃洒する行持あり。仏殿を掃洒し、法堂を掃洒す。心を掃洒すると行持をまたず、ひかりを掃洒すると行持をまたず。裴相国と相見せし、この時節なり。

唐宣宗皇帝は、憲宗皇帝第二の子なり。少而より敏黠なり。よのつねに結跏趺坐を愛す。宮にありてつねに坐禅す。穆宗は宣宗の兄なり。穆宗在位のとき、早朝罷に、宣宗すなはち戲而して、龍床にのぼりて、揖群臣勢をなす。大臣これをみて心風なりとす。すなはち穆宗に奏す。穆宗みて宣宗を撫而していはく、我弟乃吾宗之英冑也(我が弟は乃ち吾が宗の英冑なり)。ときに宣宗、としはじめて十三なり。

穆宗は長慶四年晏駕あり。穆宗に三子あり、一は敬宗、二は文宗、三は武宗なり。敬宗父位をつぎて、三年に崩ず。文宗繼位するに、一年といふに、内臣謀而、これを易す。武宗即位するに、宣宗いまだ即位せずして、をひのくににあり。武宗つねに宣宗をよぶに癡叔といふ。武宗は会昌の天子なり。仏法を廃せし人なり。武宗あるとき宣宗をめして、昔日ちちのくらゐにのぼりしことを罰して、一頓打殺して、後花園のなかにおきて、不浄を潅するに復生す。

つひに父王の邦をはなれて、ひそかに香厳禅師の会に参して、剃頭して沙弥となりぬ。しかあれど、いまだ不具戒なり。志閑禅師をともとして遊方するに、盧山にいたる。因に志閑みづから瀑布を題していはく、
穿崖透石不辞労、
遠地方知出処高。
(崖を穿ち石を透して労を辞せず、遠地方に知るぬ出処の高きことを。)

この両句をもて、沙弥を釣他して、これいかなる人ぞとみんとするなり。沙弥これを続していはく、
谿澗豈能留得住、
終帰大海作波涛。
(谿澗豈能く留め得て住めんや、終に大海に帰して波涛と作る。)

この両句をみて、沙弥はこれつねの人にあらずとしりぬ。
のちに杭州鹽官斉安国師の会にいたりて書記に充するに、黄檗禅師、ときに鹽官の首座に充す。ゆゑに黄檗と連単なり。黄檗、ときに仏殿にいたりて礼仏するに、書記いたりてとふ、不著仏求、不著法求、不著僧求、長老用礼何為(仏に著いて求めず、法に著いて求めず、僧に著いて求めず、長老礼を用ゐて何にかせん)。

かくのごとく問著するに、黄檗便掌して、沙弥書記にむかひて道す、不著仏求、不著法求、不著僧求、常礼如是事(仏に著て求めず、法に著て求めず、僧に著て求めず、常に如是の事を礼す)。

かくのごとく道しをはりて、又掌すること一掌す。
書記いはく、太麁生なり。
黄檗いはく、遮裏是什麼所在、更説什麼麁細(遮裏は是れ什麼なる所在なればか、更に什麼の麁細をか説く)。
また書記を掌すること一掌す。
書記ちなみに休去す。

武宗ののち、書記つひに還俗して即位す。武宗の廃仏法を廃して、宣宗すなはち仏法を中興す。宣宗は即位在位のあひだ、つねに坐禅をこのむ。未即位のとき、父王のくにをはなれて、遠地の谿澗に遊方せしとき、純一に弁道す。即位ののち、昼夜に坐禅すといふ。まことに父王すでに崩御す、兄帝また晏駕す、をひのために打殺せらる。あはれむべき窮子なるがごとし。しかあれども、勵志うつらず弁道功夫す、奇代の勝躅なり、天真の行持なるべし。

雪峰真覚大師義存和尚、かつて発心よりこのかた、掛錫の叢林および行程の接待、みちはるかなりといへども、ところをきらはず、日夜の坐禅おこたることなし。雪峰草創の露堂々にいたるまで、おこたらずして坐禅と同死す。咨参のそのかみは九上洞山、三到投子する、奇世の弁道なり。行持の清厳をすすむるには、いまの人おほく雪峰高行といふ。雪峰の昏昧は諸人とひとしといへども、雪峰の伶俐は、諸人のおよぶところにあらず。これ行持のしかあるなり。いまの道人、かならず雪峰の澡雪をまなぶべし。しづかに雪峰の諸方に参学せし筋力をかへりみれば、まことに宿有霊骨の功徳なるべし。

いま有道の宗匠の会をのぞむに、真実請参せんとするとき、そのたより、もとも難弁なり。ただ二十、三十箇の皮袋にあらず、百千人の面々なり。おのおの実帰をもとむ、授手の日くれなんとす、打春の夜あけなんとす。あるいは祖師の普説するときは、わが耳目なくしていたづらに見聞をへだつ。耳目そなはるときは、師またときをはりぬ。耆宿尊年の老古錐すでに拊掌笑呵呵のとき、新戒晩進のおのれとしては、むしろのすゑを接するたよりなほまれなるがごとし。堂奥にいるといらざると、師決をきくときかざるとあり。光陰は矢よりもすみやかなり、露命は身よりももろし。師はあれどもわれ参不得なるうらみあり、参ぜんとするに師不得なるかなしみあり。かくのごとくの事、まのあたりに見聞せしなり。

大善知識かならず人をしる徳あれども、耕道功夫のとき、あくまで親近する良縁まれなるものなり。雪峰のむかし洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、さだめてこの事煩をしのびけん。この行持の法操あはれむべし、参学せざらんはかなしむべし。

正法眼蔵行持第十六 上

仁治癸卯正月十八日書写了
同三月八日校点了 懐弉

※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。より分かりやすくするために漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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