曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

柏樹子(はくじゅし)「正法眼蔵」

投稿日:2020年9月24日 更新日:

趙州真際大師は、釈迦如来より第三十七世なり。六十一歳にして、はじめて発心し、いへをいでて学道す。このときちかひていはく、たとひ百歳なりとも、われよりもおとれらんは、われかれををしふべし。たとひ七歳なりとも、われよりもすぐれば、われかれにとふべし。恁麼ちかひて、南方へ雲遊す。道をとぶらひゆくちなみに、南泉にいたりて、願和尚を礼拝す。

ちなみに南泉もとより方丈内にありて臥せるついでに、師、来参するにすなはちとふ、近離什麼処(近離什麼れの処ぞ)。
師いはく、瑞像院。
南泉いはく、還見瑞像麼(還た瑞像を見るや)。
師いはく、瑞像即不見、即見臥如来(瑞像は即ち見ず、即ち臥如来を見る)。
ときに南泉いましに起してとふ、儞はこれ有主沙弥なりや、無主沙弥なりや。
師、対していはく、有主沙弥。
南泉いはく、那箇是儞主。
師いはく、孟春猶寒、伏惟和尚尊体、起居万福。
南泉すなはち維那をよびていはく、此沙弥別処安排(此の沙弥、別処に安排すべし)。

かくのごとくして南泉に寓直し、さらに余方にゆかず。弁道功夫すること三十年なり。寸陰をむなしくせず、雑用あることなし。つひに伝道受業よりのち、趙州の観音院に住することも又三十年なり。その住持の事形、つねの諸方にひとしからず。

或時いはく、
烟火徒労望四隣、
饅頭䭔子前年別。
今日思量空嚥津、
持念少、嗟歎頻。
一百家中無善人、
来者祗道覓茶喫、
不得茶噇去又嗔。
(烟火徒らに労す四隣を望むを、饅頭、䭔子前年より別れぬ。今日思量して空しく嚥津す、持念は少なく、嗟歎は頻なり。一百家中善人無し、来者祗だ道ふ茶を覓めて喫せんと、茶を得て噇はざれば去つて又嗔る。)

あはれむべし、烟火まれなり、一味すくなし。雑味は前年よりあはず、一百家人きたれば茶をもとむ。茶をもとめざるはきたらず。将来茶人は一百家人にあらざらん。これ見賢の雲水ありとも、思斉の龍象なからん。

あるときまたいはく、
思量天下出家人、
似我住持能有幾。
土榻床、破蘆簾、
老楡木枕全無被。
尊像不焼安息香、
灰裏唯聞牛糞気。
(天下の出家人を思量るに、我に似たる住持能く幾か有らん。土の榻床、破れたる蘆簾、老楡の木枕全く被無し。尊像には焼かず安息香、灰裏には唯だ聞く牛糞の気。)

これらの道得をもて、院門の潔白しりぬべし。いまこの蹤跡を学習すべし。僧衆おほからず、不満二十衆といふは、よくすることのかたきによりてなり。僧堂おほきならず、前架後架なし。夜間は燈光あらず、冬天は炭火なし。あはれむべき老後の生涯といひぬべし。古仏の操行、それかくのごとし。

あるとき、連床のあしのをれたりけるに、燼木をなはにゆひつけて年月をふるに、知事、つくりかへんと報ずるに、師、ゆるさざりけり。希代の勝躅なり。
よのつねには、解斎粥米全無粒、空対閑窓与隙塵(解斎の粥米全く粒も無し、空しく閑窓と隙塵とに対ふ)なり。あるいはこのみをひろひて、僧衆もわが身も、茶飯の日用に活計す。いまの晩進、この操行を讃頌する、師の操行におよばざれども、慕古を心術とするなり。

あるとき、衆にしめしていはく、われ南方にありしこと三十年、ひとすぢに坐禅す。なんだち諸人、この一段の大事をえんとおもはば、究理坐禅してみるべし。三年五年、二十年三十年せんに、道をえずといはば、老僧が頭をとりて、杓につくりて小便をくむべし。
かくのごとくちかひける。

まことに坐禅弁道は、仏道の直路なり、究理坐看すべし。
のちに人いはく、趙州古仏なり。

大師因有僧問、如何是祖師西来意(大師に因みに僧有つて問ふ、如何ならんか是れ祖師西来意)。
師云、庭前栢樹子(庭前の栢樹子)。
僧曰、和尚莫以境示人(和尚境を以て人に示すこと莫れ)。
師云、吾不以境示人(吾れ境を以て人に示さず)。
僧曰、如何是祖師西来意(如何ならんか是れ祖師西来意)。
師云、庭前栢樹子(庭前の栢樹子)。

この一則公案は、趙州より起首せりといへども、必竟じて諸仏の渾身に作家しきたれるところなり。たれかこれ主人公なり。

いましるべき道理は、庭前栢樹子、これ境にあらざる宗旨なり。祖師西来意、これ境にあらざる宗旨なり。栢樹子、これ自己にあらざる宗旨なり。和尚莫以境示人なるがゆゑに。吾不以境示人なるがゆゑに。いづれの和尚か和尚にさへられん。

さへられずは、吾なるべし。いづれの吾か吾にさへられん。たとひさへらるとも、人なるべし。いづれの境か西来意に罣礙せられざらん。境はかならず西来意なるべきがゆゑに。しかあれども、西来意の境をもちて相待せるにあらず。祖師西来意かならずしも正法眼蔵涅槃妙心にあらざるなり。不是心なり、不是仏なり、不是物なり。

いま、如何祖師西来意と道取せるは、問取のみにあらず、両人同得見のみにあらざるなり。正当恁麼問時は、一人也未可相見なり、自己也能得幾なり。さらに道取するに、渠無不是なり。このゆゑに錯錯なり、錯錯なるがゆゑに将錯就錯なり。承虚接響にあらざらんや。豁達霊根無向背なるがゆゑに、庭前栢樹子なり。
境にあらざれば栢樹子にあるべからず。たとひ境なりとも、吾不以境示人なり、和尚莫境示人なり。古祠にあらず。すでに古祠にあらざれば埋没しもてゆくなり。すでに埋没しもてゆくことあるは、還吾功夫来なり。還吾功夫来なるがゆゑに吾不以境示人なり。さらになにをもてか示人する、吾亦如是なるべし。

大師有僧問、栢樹還有仏性也無(大師に、僧有りて問ふ、栢樹還た仏性有りや無や)。
大師云、有(有り)。
僧曰、栢樹幾時成仏(栢樹幾の時か成仏せん)。
大師云、待虚空落地(虚空の落地するを待つべし)。
僧曰、虚空幾時落地(虚空幾の時か地に落せん)。
大師云、待栢樹子成仏(栢樹子の成仏を待つべし)。

いま大師の道取を聴取し、這僧問取をすてざるべし。大師道の虚空落地時、および栢樹成仏時は、互相の相待なる道得にあらざるなり。栢樹を問取し、仏性を問取す。成仏を問取し、時節を問取す。虚空を問取し、落地を問取するなり。

いま大師の向僧道するに、有と道取するは、栢樹仏性有なり。この道を通達して、仏祖の命脈を通暢すべきなり。いはゆる栢樹に仏性ありといふこと、尋常に道不得なり、未曽道なり。すでに有仏性なり、その為体あきらむべし。有仏性なり、栢樹いまその次位の高低いかん。

寿命身量の長短たづぬべし、種姓類族きくべし。さらに百千の栢樹、みな同種姓なるか、別種胤なるか。成仏する栢樹あり、修行する栢樹あり、発心する栢樹あるべきか。栢樹は成仏あれども、修行発心等を具足せざるか。栢樹と虚空と、有甚麼因縁なるぞ。栢樹の成仏、さだめて待儞落地時なるは、栢樹の樹功徳、かならず虚空なるか。栢樹の地位は、虚空それ初地か、果位か、審細に功夫参究すべし。我還問汝趙州老、儞亦一根枯栢樹(我れ還つて汝に問はん、趙州老、儞も亦た一根の枯栢樹なり)なれば、恁麼の活計を消息せるか。

おほよそ栢樹有仏性は、外道二乗等の境界にあらず、経師論師等の見聞にあらざるなり。いはんや枯木死灰の言華に開演せられんや。ただ趙州の種類のみ参学参究するなり。いま趙州道の栢樹有仏性は、栢樹被栢樹礙也無(栢樹、栢樹に礙へらるや無や)なり、仏性被仏性礙也無(仏性、仏性に礙へらるや無や)なり。この道取、いまだ一仏二仏の究尽するところにあらず。仏面あるもの、かならずしもこの道得を究尽することうべからず。たとひ諸仏のなかにも、道得する諸仏あるべし、道不得なる諸仏あるべし。

いはゆる待虚空落地は、あるべからざることをいふにあらず。栢樹子の成仏する毎度に、虚空落地するなり。その落地響かくれざること、百千の雷よりもすぎたり。栢樹成仏の時は、しばらく十二時中なれども、さらに十三時中なり。

その落地の虚空は、凡聖所見の虚空のみにはあらず。このほかに一片の虚空あり、余人所不見なり、趙州一箇見なり。虚空のおつるところの地、また凡聖所領の地にあらず。さらに一片地あり、陰陽所不到なり、趙州一箇到なり。虚空落地の時節、たとひ日月山河なりとも、待なるべし。たれか道取する、仏性かならず成仏すべしと。仏性は成仏以後の荘厳なり。さらに成仏と同生同参する仏性もあるべし。
しかあればすなはち、栢樹と仏性と、異音同調にあらず。為道すらくは何必なり、作麼生と参究すべし。

正法眼蔵栢樹子第四十

爾時仁治三年壬寅五月菖節二十一日在雍州宇治郡観音導利院示衆
寛元元年癸卯七月三日丁未書写于越州吉田郡志比莊吉峰寺院主房 懐弉

※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。より分かりやすくするために漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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