七仏向上より七仏に正伝し、七仏裏より七仏に正伝し、渾七仏より渾七仏に正伝し、七仏より二十八代正伝しきたり、第二十八代の祖師、
菩提達磨高祖、みづから神丹国にいりて、二祖大祖正宗普覚大師に正伝し、六代つたはれて曹谿にいたる。東西都盧五十一代、すなはち正法眼蔵涅槃妙心なり、袈裟、鉢盂なり。ともに先仏は先仏の正伝を保任せり。かくのごとくして仏々祖々正伝せり。
しかあるに仏祖を参学する皮肉骨髓、拳頭眼睛、おのおの道取あり。いはゆる、あるいは鉢盂はこれ仏祖の身心なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の飯埦なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の眼睛なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の光明なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の真実体なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の正法眼蔵涅槃妙心なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の転身処なりと参学するあり、あるいは鉢盂はこれ仏祖の縁底なりと参学するあり。かくのごとくのともがらの参学の宗旨、おのおの道得の処分ありといへども、さらに向上の参学あり。
先師天童古仏、大宋宝慶元年、住天童日(天童に住せし日)、上堂云、記得、僧問百丈(記し得たり、僧百丈に問ふ)、如何是奇特事(如何ならんか是れ奇特の事)。百丈云、独坐大雄峰。
大衆不得動著、且教坐殺者漢。今日忽有人問浄上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特。畢竟如何、浄慈鉢盂、移過天童喫飯(大衆、動著することを得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。今日忽ちに人有つて浄上座に問はん、如何ならんか是れ奇特の事と。ただ他に向つて道ふべし。甚の奇特か有らん。畢竟如何。浄慈の鉢盂、天童に移過して喫飯す)。
しるべし、奇特事はまさに奇特人のためにすべし。奇特事には奇特の調度をもちゐるべきなり。これすなはち奇特の時節なり。しかあればすなはち、奇特事の現成せるところ、奇特鉢盂なり。これをもて四天王をして護持せしめ、諸龍王をして擁護せしむる、仏道の玄軌なり。このゆゑに仏祖に奉獻し、仏祖より附囑せらる。
仏祖の堂奥に参学せざるともがらいはく、仏袈裟は、絹なり、布なり、化絲のをりなせるところなりといふ。仏鉢盂は、石なり、瓦なり、鐵なりといふ。かくのごとくいふは、未具参学眼のゆゑなり。仏袈裟は仏袈裟なり、さらに絹、布の見あるべからず。絹布等の見は舊見なり。仏鉢盂は仏鉢盂なり、さらに石瓦といふべからず、鐵木といふべからず。
おほよそ仏鉢盂は、これ造作にあらず、生滅にあらず。去来せず、得失なし。新舊にわたらず、古今にかかはれず。仏祖の衣盂は、たとひ雲水を採集して現成せしむとも、雲水の籮籠にあらず。たとひ草木を採集して現成せしむとも、草木の籮籠にあらず。
その宗旨は、水は衆法を合成して水なり、雲は衆法を合成して雲なり。雲を合成して雲なり、水を合成して水なり。鉢盂は但以衆法、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成衆法なり。但以渾心、合成鉢盂なり。但以虚空、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成鉢盂なり。鉢盂は鉢盂に罣礙せられ、鉢盂に染汚せらる。
いま雲水の伝持せる鉢盂、すなはち四天王奉獻の鉢盂なり。鉢盂もし四天王奉獻せざれば現前せず。いま諸方に伝仏正法眼蔵の仏祖の正伝せる鉢盂、これ透脱古今底の鉢盂なり。しかあれば、いまこの鉢盂は、鐵漢の舊見を覷破せり、木橛の商量に拘牽せられず、瓦礫の声色を超越せり。石玉の活計を罣礙せざるなり。碌塼といふことなかれ、木橛といふことなかれ。かくのごとく承当しきたれり。
正法眼蔵鉢盂第七十一
爾時寛元三年乙巳三月十二日在越宇大仏精舍示衆
寛元乙巳七月廿七日在大仏寺侍司書写 懐弉
※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。より分かりやすくするために漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。
法要依頼 お布施3000円~(法事や葬儀告別供養、祈願、ペット供養/オプションで戒名授与、開眼、閉眼も可能)
<< 戻る