曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

「正法眼蔵」袈裟功徳(けさくどく)

投稿日:2020年9月24日 更新日:

仏々祖々正伝の衣法、まさしく震旦国に正伝することは、嵩嶽の高祖のみなり。高祖は、釈迦牟尼仏より第二十八代の祖なり。西天二十八伝、嫡々あひつたはれり。二十八祖、したしく震旦にいりて初祖たり。震旦国人五伝して、曹溪にいたりて三十三代の祖なり、これを六祖と称ず。第三十三代の祖大鑑禅師、この衣法を黄梅山にして夜半に正伝し、一生護持、いまなほ曹溪山宝林寺に安置せり。

諸代の帝王、あひつぎて内裡に奉請し、供養礼拝す、神物護持せるものなり。唐朝中宗、肅宗、代宗、しきりに帰内供養しき。奉請のとき、奉送のとき、ことさら勅使をつかはし、詔をたまふ。代宗皇帝、あるとき仏衣を曹溪山におくりたてまつる詔にいはく、

今遣鎭国大将軍劉崇景頂戴而送。朕為之国宝。卿可於本寺安置、令僧衆親承宗旨者、厳加守護、勿令遺墜(今、鎭国大将軍劉崇景をして、頂戴して送らしむ。朕、之を国宝とす。卿、本寺に安置し、僧衆の親しく宗旨を承けし者をして厳しく守護を加へ、遺墜せしむることなからしむべし)。

まことに無量恆河沙の三千大千世界を統領せんよりも、仏衣現在の小国に王としてこれを見聞供養したてまつらんは、生死のなかの善生、最勝の生なるべし。仏化のおよぶところ、三千界いづれのところか袈裟なからん。しかありといへども、嫡々面授して仏袈裟を正伝せるは、ただひとり嵩嶽の曩祖のみなり、旁出は仏袈裟をさづけられず。二十七祖の旁出、跋陀婆羅菩薩の伝、まさに肇法師におよぶといへども、仏袈裟の正伝なし。震旦の四大師、また牛頭山の法融禅師をわたすといへども、仏袈裟を正伝せず。

しかあればすなはち、正嫡の相承なしといへども、如来の正法その功徳むなしからず、千古万古みな利益広大なり。正嫡相承せらんは、相承なきとひとしかるべからず。

しかあればすなはち、人天もし袈裟を受持せんは、仏祖相伝の正伝を伝受すべし。印度震旦、正法像法のときは、在家なほ袈裟を受持す。いま遠方辺土の澆季には、剃除鬚髪して仏弟子と称ずる、袈裟を受持せず、いまだ受持すべきと信ぜず、しらず、あきらめず、かなしむべし。いはんや体色量をしらんや、いはんや著用の法をしらんや。

袈裟はふるくより解脱服と称ず、業障、煩悩障、報障等、みな解脱すべきなり。龍もし一縷をうれば三熱をまぬかる、牛もし一角にふるればその罪おのづから消滅す。諸仏成道のとき、かならず袈裟を著す。しるべし、最尊最上の功徳なりといふこと。

まことにわれら辺地にうまれて末法にあふ、うらむべしといへども、仏々嫡々相承の衣法にあふたてまつる、いくそばくのよろこびとかせん。いづれの家門か、わが正伝のごとく釈尊の衣法ともに正伝せる。これにあふたてまつりて、たれか恭敬供養せざらん。

たとひ一日に無量恆河沙の身命をすてても、供養したてまつるべし、なほ生々世々の値遇頂戴、供養恭敬を発願すべし。われら仏生国をへだつること十万余里の山海はるかにして通じがたしといへども、宿善のあひもよほすところ、山海に擁塞せられず、辺鄙の愚蒙きらはるることなし。

この正法にあふたてまつり、あくまで日夜に修習す、この袈裟を受持したてまつり、常恆に頂戴護持す。ただ一仏二仏のみもとにして、功徳を修せるのみならんや、すでに恆河沙等の諸仏のみもとにして、もろもろの功徳を修習せるなるべし。

たとひ自己なりといふとも、たふとぶべし、隨喜すべし。祖師伝法の深恩、ねんごろに報謝すべし。畜類なほ恩を報ず、人類いかでか恩をしらざらん。もし恩をしらずは、畜類よりも愚なるべし。

この仏衣仏法の功徳、その伝仏正法の祖師にあらざれば、余輩いまだあきらめず、しらず。諸仏のあとを欣求すべくは、まさにこれを欣楽すべし。たとひ百千万代ののちも、この正伝を正伝とすべし。これ仏法なるべし、証験まさにあらたならん。

水を乳に入るるに相似すべからず。皇太子の帝位に即位するがごとし。かの合水の乳なりとも、乳をもちゐん時は、この乳のほかにさらに乳なからんには、これをもちゐるべし。たとひ水と合せずとも、あぶらをもちゐるべからず、うるしをもちゐるべからず、さけをもちゐるべからず。

この正伝もまたかくのごとくならん。たとひ凡師の庸流なりとも、正伝あらんは用乳のよろしきときなるべし。いはんや仏々祖々の正伝は、皇太子の即位のごとくなるなり。

俗なほいはく、先王の法服にあらざれば服せず。仏子いづくんぞ仏衣にあらざらんを著せん。後漢孝明皇帝、永平十年よりのち、西天東地に往還する出家在家、くびすをつぎてたえずといへども、西天にして仏々祖々正伝の祖師にあふといはず。如来より面授相承の系譜なし。ただ経論師にしたがうて、梵本の経教を伝来せるなり。仏法正嫡の祖師にあふといはず、仏袈裟相伝の祖師ありとかたらず。あきらかにしりぬ、仏法の閫奥にいらざりけりといふことを。かくのごときのひと、仏祖正伝のむね、あきらめざるなり。

釈迦牟尼如来、正法眼蔵無上菩提を、摩訶迦葉に附授しましますに、迦葉仏祖正伝の袈裟、ともに伝授しまします。嫡々相承して曹溪山大鑑禅師にいたる、三十三代なり。その体色量、親伝せり。それよりのち、青原南嶽の法孫、したしく伝法しきたり、祖宗の法を搭し、祖宗の法を製す。浣洗の法および受持の法、この嫡々面授の堂奥に参学せざれば、しらざるところなり。

袈裟言有三衣、五条衣七条衣、九条衣等大衣也。上行之流、唯受此三衣、不畜余衣、唯用三衣、供身事足(袈裟は言く三衣有り、五条衣七条衣、九条衣等の大衣也。上行の流は、唯此の三衣を受けて余衣を畜へず、唯三衣を用て身に供じて事足す)。

若経営作務、大小行来、著五条衣。為諸善事入衆、著七条衣。教化人天、令其敬信、須著九条等大衣(若し経営作務、大小の行来には、五条衣を著す。諸の善事を為し入衆せんには、七条衣を著す。人天を教化し、其をして敬信せしめんには、須らく九条等の大衣を著すべし)。

又在屏処、著五条衣、入衆之時、著七条衣。若入王宮聚落、須著大衣(又屏処に在らんには五条衣を著し、入衆の時には七条衣を著す。若し王宮聚落に入らんには、須らく大衣を著すべし)。

又復調和熅燸之時、著五条衣、寒冷之時、加著七条衣、寒苦厳切、加以著大衣(又復調和熅燸の時には五条衣を著し、寒冷の時には七条衣を加著し、寒苦厳切ならんには加ふるに以て大衣を著す)。

故往一時、正冬入夜、天寒裂竹。如来於彼初夜分時、著五条衣。夜久転寒、加七条衣、於夜後分、天寒転盛、加以大衣(故往の一時、正冬に夜に入りて、天寒くして竹を裂く。如来、彼の初夜の分時に於て、五条衣を著したまひき。夜久しく転た寒きには七条衣を加へ、夜の後分に於て、天寒転た盛んなるには、加ふるに大衣を以てしたまひき)。

仏便作念、未来世中、不忍寒苦、諸善男子、以此三衣、足得充身(仏便ち念を作したまはく、未来世の中に、寒苦を忍びざるには、諸の善男子、此の三衣を以て、足らはして充身することを得ん)。

搭袈裟法
偏袒右肩、これ常途の法なり。通両肩搭の法あり、如来および耆年老宿の儀なり。両肩を通ずといふとも、胸臆をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通両肩搭は六十条衣以上の大袈裟のときなり。搭袈裟のとき、両端ともに左臂肩にかさねかくるなり。前頭は左端のうへにかけて臂外にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通じて背後にいだしたれたり。このほか種々の著袈裟の法あり、久参咨問すべし。

梁陳隋唐宋あひつたはれて数百歳のあひだ、大小両乗の学者、おほく講経の業をなげすてて、究竟にあらずとしりて、すすみて仏祖正伝の法を学せんとするとき、かならず従来の弊衣を落して、仏祖正伝の袈裟を受持するなり。まさしくこれ捨邪帰正なり。

如来の正法は、西天すなはち法本なり。古今の人師、おほく凡夫の情量局量の小見をたつ。仏界衆生界、それ有辺無辺にあらざるがゆゑに、大小乗の教行人理、いまの凡夫の局量にいるべからず。しかあるに、いたづらに西天を本とせず、震旦国にして、あらたに局量の小見を今案して仏法とせる、道理しかあるべからず。

しかあればすなはち、いま発心のともがら、袈裟を受持すべくは、正伝の袈裟を受持すべし。今案の新作袈裟を受持すべからず。正伝の袈裟といふは、少林曹溪正伝しきたれる、如来の嫡々相承なり。一代も虧闕なし。その法子法孫の著しきたれる、これ正伝袈裟なり。唐土の新作は正伝にあらず。いま古今に、西天よりきたれる僧徒の所著の袈裟、みな仏祖正伝の袈裟のごとく著せり。一人としても、いま震旦新作の律学のともがらの所製の袈裟のごとくなるなし。くらきともがら、律学の袈裟を信ず、あきらかなるものは抛却するなり。

おほよそ、仏々祖々相伝の袈裟の功徳、あきらかにして信受しやすし。正伝まさしく相承せり。本様まのあたりつたはれり、いまに現在せり。受持しあひ嗣法していまにいたる。受持せる師、ともにこれ証契伝法の師資なり。

しかあればすなはち、仏祖正伝の作袈裟の法によりて作法すべし。ひとりこれ正伝なるがゆゑに。凡聖人天龍神、みなひさしく証知しきたれるところなり。この法の流布にむまれあひて、ひとたび袈裟を身体におほひ、刹那須臾も受持せん、すなはちこれ決定成無上菩提の護身符子ならん。

一句一偈を身心にそめん、長劫光明の種子として、つひに無上菩提にいたる。一法一善を身心にそめん、亦復如是なるべし。心念も刹那生滅し無所住なり、身体も刹那生滅し無所住なりといへども、所修の功徳、かならず熟脱のときあり。袈裟また作にあらず無作にあらず、有所住にあらず無所住にあらず、唯仏与仏の究尽するところなりといへども、受持する行者、その所得の功徳、かならず成就するなり、かならず究竟するなり。

もし宿善なきものは、一生二生乃至無量生を経歴すといふとも、袈裟をみるべからず、袈裟を著すべからず、袈裟を信受すべからず、袈裟をあきらめしるべからず。いま震旦国日本国をみるに、袈裟をひとたび身体に著することうるものあり、えざるものあり。貴賤によらず、愚智によらず。はかりしりぬ、宿善によれりといふこと。

しかあればすなはち、袈裟を受持せんは宿善よろこぶべし、積功累徳うたがふべからず。いまだえざらんはねがふべし、今生いそぎ、そのはじめて下種せんことをいとなむべし。さはりありて受持することえざらんものは、諸仏如来、仏法僧の三宝に、慚愧懺悔すべし。他国の衆生いくばくかねがふらん、わがくにも震旦国のごとく、如来の衣法まさしく正伝親臨せましと。おのれがくにに正伝せざること、慚愧ふかかるらん、かなしむうらみあるらん。われらなにのさいはひありてか、如来世尊の衣法正伝せる法にあひたてまつれる。宿殖般若の大功徳力なり。

いま末法悪時世は、おのれが正伝なきをはぢず、他の正伝あるをそねむ、おもはくは魔党ならん。おのれがいまの所有所住は、前業にひかれて真実にあらず。ただ正伝仏法に帰敬せん、すなはちおのれが学仏の実帰なるべし。

およそしるべし、袈裟はこれ諸仏の恭敬帰依しましますところなり。仏身なり、仏心なり。解脱服と称じ、福田衣と称じ、無相衣と称じ、無上衣と称じ、忍辱衣と称じ、如来衣と称じ、大慈大悲衣と称じ、勝幡衣と称じ、阿耨多羅三藐三菩提衣と称ず。まさにかくのごとく受持頂戴すべし。かくのごとくなるがゆゑに、こころにしたがうてあらたむべきにあらず。

その衣財、また絹布よろしきにしたがうてもちゐる。かならずしも布は清浄なり、絹は不浄なるにあらず。布をきらうて絹をとる所見なし、わらふべし。諸仏の常法、かならず糞掃衣を上品とす。

糞掃に十種あり、四種あり。
いはゆる火焼、牛嚼、鼠噛、死人衣等。五印度人、如此等衣、棄之巷野。事同糞掃、名糞掃衣。行者取之、浣洗縫治、用以供身(火焼、牛嚼、鼠噛、死人衣等なり。五印度の人、此の如き等の衣、之を巷野に棄つ。事、糞掃に同じ、糞掃衣と名づく。行者之を取つて、浣洗縫治して、用以て身に供ず)。

そのなかに絹類あり、布類あり。絹布の見をなげすてて、糞掃を参学すべきなり。
糞掃衣は、むかし阿耨達池にして浣洗せしに、龍王讃歎、雨花礼拝しき。

小乗教師また化絲の説あり、よところなかるべし、大乗人わらふべし。いづれか化絲にあらざらん。なんぢ化をきくみみを信ずとも、化をみる目をうたがふ。

しるべし、糞掃をひろふなかに、絹に相似なる布あらん、布に相似なる絹あらん。土俗万差にして造化はかりがたし、肉眼のよくしるところにあらず。かくのごときのものをえたらん、絹布と論ずべからず、糞掃と称ずべし。たとひ人天の糞掃と生長せるありとも、有情ならじ、糞掃なるべし。たとひ松菊の糞掃と生長せるありとも、非情ならじ、糞掃なるべし。糞掃の絹布にあらず、金銀珠玉にあらざる道理を信受するとき、糞掃現成するなり。絹布の見解いまだ脱落せざれば、糞掃也未夢見在なり。

ある僧かつて古仏にとふ、黄梅夜半の伝衣、これ布なりとやせん、絹なりとやせん。畢竟じてなにものなりとかせん。
古仏いはく、これ布にあらず、これ絹にあらず。
しるべし、袈裟は絹布にあらざる、これ仏道の玄訓なり。

商那和修尊者は第三の附法蔵なり、むまるるときより衣と倶生せり。この衣、すなはち在家のときは俗服なり、出家すれば袈裟となる。また鮮白比丘尼、発願施氎(せじょう)ののち、生々のところ、および中有、かならず衣と倶生せり。今日釈迦牟尼仏にあふたてまつりて出家するとき、生得の俗衣、すみやかに転じて袈裟となる。和修尊者におなじ。あきらかにしりぬ、袈裟は絹布等にあらざること。

いはんや仏法の功徳、よく身心諸法を転ずること、それかくのごとし。われら出家受戒のとき、身心依正すみやかに転ずる道理あきらかなれど、愚蒙にしてしらざるのみなり。諸仏の常法、ひとり和修鮮白に加して、われらに加せざることなきなり。隨分の利益、うたがふべからざるなり。

かくのごとくの道理、あきらかに功夫参学すべし。善来得戒の披体の袈裟、かならずしも布にあらず、絹にあらず。仏化難思なり、衣裏の宝珠は算沙の所能にあらず。

諸仏の袈裟の体色量の有量無量、有相無相、あきらめ参学すべし。西天東地、古往今来の祖師、みな参学正伝せるところなり。祖々正伝のあきらかにしてうたがふところなきを見聞しながら、いたづらにこの祖師に正伝せざらんは、その意楽ゆるしがたからん。愚癡のいたり、不信のゆゑなるべし。実をすてて虚をもとめ、本をすてて末をねがふものなり。これ如来を軽忽したてまつるならん。

菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の正伝を伝受すべし。われらあひがたき仏法にあひたてまつるのみにあらず、仏袈裟正伝の法孫としてこれを見聞し、学習し、受持することをえたり。すなはちこれ如来をみたてまつるなり。

仏説法をきくなり、仏光明にてらさるるなり、仏受用を受用するなり。仏心を単伝するなり、仏髓をえたるなり。まのあたり釈迦牟尼仏の袈裟におほはれたてまつるなり。釈迦牟尼仏まのあたりわれに袈裟をさづけましますなり。ほとけにしたがふたてまつりて、この袈裟はうけたてまつれり。

浣袈裟法
袈裟をたたまず、浄桶にいれて、香湯を百沸して、袈裟をひたして、一時ばかりおく。またの法、きよき灰水を百沸して、袈裟をひたして、湯のひややかになるをまつ。いまはよのつねに灰湯をもちゐる。

灰湯、ここにはあくのゆといふ。灰湯さめぬれば、きよくすみたる湯をもて、たびたびこれを浣洗するあひだ、両手にいれてもみあらはず、ふまず。あかのぞこほり、あぶらのぞこほるを期とす。

そののち、沈香栴檀香等を冷水に和してこれをあらふ。そののち浄竿にかけてほす。よくほしてのち、摺襞してたかく安じて、焼香散花して、右遶数匝して礼拝したてまつる。あるいは三拝、あるいは六拝、あるいは九拝して、胡跪合掌して、袈裟を両手にささげて、くちに偈を誦してのち、たちて如法に著したてまつる。

世尊告大衆言、我往昔在宝蔵仏所時、為大悲菩薩。爾時大悲菩薩摩訶薩、在宝蔵仏前、而発願言(世尊大衆に告げて言はく、我れ往昔宝蔵仏の所に在りし時、大悲菩薩たり。爾の時に大悲菩薩摩訶薩、宝蔵仏の前に在りて発願して言さく)、

世尊、我成仏已、若有衆生入我法中出家著袈裟者、或犯重戒、或行邪見、若於三宝軽毀不信、集諸重罪、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、若於一念中、生恭敬心、尊重僧伽梨衣、生恭敬心、尊重世尊或於法僧、世尊如是衆生、乃至一人、不於三乗得受記莂、而退転者、則為欺誑十方世界、無量無辺阿僧祇等、現在諸仏。必定不成阿耨多羅三藐三菩提(世尊、我成仏し已らんに、若し衆生有つて、我が法の中に入りて、出家して袈裟を著する者の、或いは重戒を犯し、或いは邪見を行じ、若しは三宝に於て軽毀して信ぜず、諸の重罪を集たらん比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、若し一念の中に恭敬心を生じて、僧伽梨衣を尊重し、恭敬心を生じて世尊或いは法僧に於て尊重せん。世尊、是の如くの衆生、乃至一人も、三乗に於て記莂を受くることを得ずして而も退転せば、則ち為十方世界の無量無辺阿僧祇等の現在の諸仏を欺誑したてまつるなり。必定じて阿耨多羅三藐三菩提を成らじ)。

世尊、我成仏已来、諸天龍鬼神、人及非人、若能於此著袈裟者、恭敬供養、尊重讃歎。其人若得見此袈裟少分、即得不退於三乗中(世尊、我れ成仏してより已来、諸の天龍鬼神、人及び非人、若し能く此の著袈裟の者に於て、恭敬供養し、尊重讃歎せん。其の人若し此の袈裟の少分を見ることを得ば、即ち三乗の中に於て不退なることを得ん)。

若有衆生、為飢渇所逼、若貧窮鬼神、下賤諸人、乃至餓鬼衆生、若得袈裟少分乃至四寸、即得飲食充足、隨其所願、疾得成就(若し衆生有つて、飢渇の為に逼められん、若しは貧窮の鬼神、下賤の諸人、乃至餓鬼の衆生までも、若し袈裟の少分の乃至四寸を得たらんには、即ち飲食充足することを得ん。その所願に隨ひて疾く成就することを得ん)。

若有衆生、共相違反、起怨賊想、展転鬪諍、若諸天龍鬼神、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、狗弁荼、毘舍遮、人及非人、共鬪諍時、念此袈裟、依袈裟力、尋生悲心、柔軟之心、無怨賊心、寂滅之心、調伏善心、還得清浄(若し衆生有つて、共に相違反し、怨賊の想を起して、展転鬪諍せん、若しは諸の天龍、鬼神、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、狗弁荼、毘舍遮、人及非人、共に鬪諍せん時、此の袈裟を念ぜば、袈裟の力に依りて、尋いで悲心、柔軟の心、無怨賊の心、寂滅の心、調伏の善心を生じて、還た清浄なることを得ん)。

有人若在兵甲鬪訟断事之中、持此袈裟少分至此輩中、為自護故、供養恭敬尊重、是人等、無能侵毀触嬈軽弄。常得勝他、過此諸難(人有つて若し兵甲鬪訟断事の中に在らんに、此の袈裟の少分を持つて此の輩の中に至らん、自護の為の故に、供養し恭敬し尊重せん、是の諸人等、能く侵毀触嬈軽弄すること無けん。常に他に勝つことを得て、此の諸難を過ぎん)。

世尊、若我袈裟、不能成就如是五事聖功徳者、則為欺誑十方世界、無量無辺阿僧祇等、現在諸仏。未来不応成就阿耨多羅三藐三菩提作仏事也。没失善法、必定不能破壊外道(世尊、若し我が袈裟の、是の如くの五事の聖功徳を成就すること能はずは、則ち十方世界の無量無辺阿僧祇等の現在したまふ諸仏を欺誑したてまつるなり。未来に応に阿耨多羅三藐三菩提を成就し、仏事を作すべからず。善法を没失し、必定じて外道を破壊すること能はじ)。

善男子、爾時宝蔵如来、申金色右臂、摩大悲菩薩頂、讃言、善哉善哉、大丈夫、汝所言者、是大珍宝、是大賢善。汝成阿耨多羅三藐三菩提已、是袈裟服、能成就此五聖功徳、作大利益(善男子、爾の時に宝蔵如来、金色の右臂を申べて、大悲菩薩の頂を摩でて讃めて言はく、善哉善哉、大丈夫、汝が所言は、是れ大珍宝なり、是れ大賢善なり。汝、阿耨多羅三藐三菩提を成じ已らんに、是の袈裟服は、能く此の五聖功徳を成就して大利益を作さん)。

善男子、爾時大悲菩薩摩訶薩、聞仏讃歎已、心生歓喜、踊躍無量。因仏申此金色之臂、長作合縵。其手柔軟、猶如天衣、摩其頭已、其身即変、状如僮子二十歳(善男子、爾の時に大悲菩薩摩訶薩、仏の讃歎したまふを聞き已りて、心に歓喜を生じ、踊躍すること無量なり。因みに仏此の金色の臂を申べたまふに、長作合縵なり。その手柔軟なること、猶ほ天衣の如く、其の頭を摩で已るに、其の身即ち変じて、状僮子二十歳ばかりの人の如し)。

善男子、彼会大衆、諸天龍神乾闥婆、人及非人、叉手恭敬、向大悲菩薩、供養種々華、乃至伎楽而供養之、復種々讃歎已、默然而住(善男子、彼の会の大衆、諸天龍神乾闥婆、人及非人、叉手恭敬し、大悲菩薩に向ひて種々の花を供養し、乃至伎楽して之を供養し、復た種々に讃歎し已りて、默然として住せり)。

如来在世より今日にいたるまで、菩薩声聞の経律のなかより、袈裟の功徳をえらびあぐるとき、かならずこの五聖功徳をむねとするなり。

まことにそれ、袈裟は三世諸仏の仏衣なり。その功徳無量なりといへども、釈迦牟尼仏祖の法のなかにして袈裟をえたらんは、余仏祖の法のなかにして袈裟をえんにもすぐれたるべし。ゆゑいかんとなれば、

釈迦牟尼仏むかし因地のとき、大悲菩薩摩訶薩として、宝蔵仏のみまへにて五百大願をたてましますとき、ことさらこの袈裟の功徳におきて、かくのごとく誓願をおこしまします。その功徳、さらに無量不可思議なるべし。しかあればすなはち、世尊の皮肉骨髓いまに正伝するといふは袈裟衣なり。正法眼蔵を正伝する祖師、かならず袈裟を正伝せり。この衣を伝持し頂戴する衆生、かならず二三生のあひだに得道せり。たとひ戲笑のため利益のために身を著せる、かならず得道の因縁なり。

龍樹祖師曰、復次仏法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解脱、如優鉢羅華比丘尼本生経中説(復た次に仏法中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解脱を得ること、優鉢羅華比丘尼本生経の中に説くが如し)。

仏在世時、此比丘尼、得六神通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語貴人婦女言、姉妹可出家(仏在世の時、此の比丘尼、六神通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。

諸貴婦女言、我等少壯容色盛美、持戒為難、或当破戒(我等少壯くして容色盛美なり、持戒を難しと為す、或いは当に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒当墮地獄、云何可破(戒を破らば当に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答曰、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
諸貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。
比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種々衣服而説舊語。或時著比丘尼衣、以為戲笑。以是因縁故、迦葉仏時、作比丘尼。時自恃貴姓端正生憍慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種々罪。受畢竟價釈迦牟尼仏出家、得六神通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種々の衣服を著して舊語を説きき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑と為しき。是の因縁を以ての故に、迦葉仏の時、比丘尼と作りぬ。時に自ら貴姓端正なるを恃んで憍慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種々の罪を受けき。受け畢竟りて釈迦牟尼仏に値ひたてまつりて出家し、六神通阿羅漢道を得たり)。

以是故知。出家受戒、雖復破戒、以戒因縁故、得阿羅漢道。若但作悪無戒因縁、不得道也。我乃昔時世々墮地獄、従地獄出為悪人。悪人死還入地獄、都無所得。今以証知、出家受戒、雖復破戒、以是因縁可得道果(是れを以ての故に知りぬ。出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因縁を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ悪を作して戒の因縁無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世々に地獄に墮し、地獄より出でては悪人為り。悪人死しては還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今以て証知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因縁を以て道果を得べしといふことを)。

この蓮花色阿羅漢得道の初因、さらに他の功にあらず。ただこれ袈裟を戲笑のためにその身に著せし功徳によりて、いま得道せり。二生に迦葉仏の法にあふたてまつりて比丘尼となり、三生に釈迦牟尼仏にあふたてまつりて大阿羅漢となり、三明六神通を具足せり。

三明とは、天眼宿命漏尽なり。六神通とは、神境通、他心通、天眼通、天耳通、宿命通、漏尽通なり。まことにそれただ作悪人とありしときは、むなしく死して地獄にいる。地獄よりいでてまた作悪人となる。戒の因縁あるときは、禁戒を破して地獄におちたりといへども、つひに得道の因縁なり。いま戲笑のため袈裟を著せる、なほこれ三生に得道す。いはんや無上菩提のために清浄の信心をおこして袈裟を著せん、その功徳、成就せざらめやは。いかにいはんや一生のあひだ受持したてまつり、頂戴したてまつらん功徳、まさに広大無量なるべし。

もし菩提心をおこさん人、いそぎ袈裟を受持頂戴すべし。この好世にあふて仏種をうゑざらん、かなしむべし。南州の人身をうけて、釈迦牟尼仏祖の法にあふたてまつり、仏法嫡々の師にむまれあひ、単伝直指の袈裟をうけたてまつりぬべきを、むなしくすごさん、かなしむべし。

いま袈裟正伝は、ひとり祖師正伝これ正嫡なり、余師の肩をひとしくすべきにあらず。相承なき師にしたがふて袈裟を受持する、なほ功徳甚深なり。いはんや嫡々面授しきたれる正師に受持せん、まさしき如来の法子法孫ならん。まさに如来の皮肉骨髓を正伝せるなるべし。おほよそ袈裟は、三世十方の諸仏正伝しきたれること、いまだ断絶せず。三世十方の諸仏菩薩、声聞縁覚、おなじく護持しきたれるところなり。

袈裟をつくるには麁布を本とす、麁布なきがごときは細布をもちゐる。麁細の布、ともになきには絹素をもちゐる、絹布ともになきがごときは綾羅等をもちゐる。如来の聴許なり。絹布綾羅等の類、すべてなきくにには、如来また皮袈裟を聴許しまします。

おほよそ袈裟、そめて青黄赤黒紫色ならしむべし。いづれも色のなかの壊色ならしむ。如来はつねに肉色の袈裟を御しましませり。これ袈裟色なり。初祖相伝の仏袈裟は青黒色なり、西天の屈眴布なり、いま曹溪山にあり。西天二十八伝し、震旦五伝せり。いま曹谿古仏の遺弟、みな仏衣の故実を伝持せり、余僧のおよばざるところなり。

おほよそ衣に三種あり。
一者糞掃衣、二者毳衣、三者衲衣
なり。

糞掃は、さきにしめすがごとし。毳衣者、鳥獸細毛、これをなづけて毳とす。
行者若無糞掃可得、取此為衣。衲衣者、朽故破弊、縫衲供身、不著世間好衣(行者若し糞掃の得べき無からんには、此を取りて衣を為るべし。衲衣は、朽故破弊したるを、縫衲して身に供ず。世間の好衣を著せざれ)。

具寿眴波離、請世尊曰、大徳世尊、僧伽胝衣、条数有幾(具寿眴波離、世尊に請ひたてまつりて曰さく、大徳世尊、僧伽胝衣は条数幾か有る)。
仏言、有九。何謂為九、謂(仏言はく、九有り。何を謂つてか九と為る、謂ゆる)、
九条、十一条、十三条、
十五条、十七条、十九条、
二十一条、二十三条、二十五条。
其僧伽胝衣、初之三品、其中壇隔、両長一短、如是応持。次三品、三長一短、後三品、四長一短。過是条外、便成破衲(其の僧伽胝衣、初の三品は、其の中の壇隔は両長一短なり、是の如く持すべし。次の三品は三長一短、後の三品は四長一短なり。是の条を過ぐるの外は、便ち破衲と成る)。

眴波離、復白世尊曰、大徳世尊、有幾種僧伽胝衣(眴波離、復た世尊に白して曰さく、大徳世尊、幾種の僧伽胝衣か有る)。
仏言、有三種、謂上中下。上者豎三肘、横五肘。下者豎二肘半、横四肘半。二内名中(仏言はく、三種有り、謂ゆる上中下なり。上は豎三肘、横五肘。下は豎二肘半、横四肘半。二の内を中と名づく)。

眴波離白世尊曰、大徳世尊、嗢咀羅僧伽衣、条数有幾(眴波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、嗢咀羅僧伽衣、条数幾か有る)。
仏言、但有七条、壇隔両長一短(仏言はく、但だ七条のみ有りて、壇隔両長一短なり)。

眴波離、白世尊曰、大徳世尊、七条復有幾種(眴波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、七条復た幾種か有る)。
仏言、有其三品、謂上中下。上者三五肘、下各減半肘、二内名中(仏言はく、其れに三品有り、謂ゆる上中下なり。上は三五肘、下は各半肘を減ず、二の内を中と名づく)。

眴波離白世尊曰、大徳世尊、安咀婆裟衣、条数有幾(眴波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、安咀婆裟衣、条数幾か有る)。
仏言、有五条、壇隔一長一短(仏言はく、五条有り、壇隔一長一短なり)。

眴波離白世尊曰、大徳世尊、安咀婆裟衣有幾種(眴波離、世尊に白して曰さく、大徳世尊、安咀婆裟衣幾種か有る)。
仏言、有三、謂上中下。上者三五肘、中下同前(仏言はく、三有り、謂ゆる上中下なり。上は三五肘、中下は前に同じ)。
仏言、安咀婆裟衣、復有二種。何為二。一者豎二肘、横五肘。二者豎二、横四(仏言はく、安咀婆裟衣、復た二種有り。何をか二と為す。一は豎二肘、横五肘。二は豎二、横四なり)。

僧伽胝者、訳為重複衣。嗢咀羅僧伽者、訳為上衣。安咀婆裟衣者、訳為内衣。又云下衣(僧伽胝は、訳して重複衣と為す。嗢咀羅僧伽は、訳して上衣と為す。安咀婆裟衣は、訳して内衣と為す。又下衣と云ふ)。

又云、僧伽梨衣、謂大衣也。云、入王宮衣、説法衣。欝多羅僧、謂七条衣。中衣、又云、入衆衣。安陀会、謂五条衣。云、小衣、又云、行道衣、作務衣(又云く、伽梨衣は、謂ゆる大衣也。云く、入王宮衣、説法衣なり。欝多羅僧は、謂く七条衣なり。中衣、又云く、入衆衣。安陀会は、謂く五条衣なり。云く、小衣。又云く、行道衣、作務衣)。
この三衣、かならず護持すべし。又僧伽胝衣に六十条袈裟あり。かならず受持すべし。

おほよそ、八万歳より百歳にいたるまで、寿命の増減にしたがうて、身量の長短あり。八万歳と一百歳と、ことなることありといふ、また平等なるべしといふ。そのなかに、平等なるべしといふを正伝とせり。

仏と人と、身量はるかにことなり。人身ははかりつべし。仏身はつひにはかるべからず。このゆゑに、迦葉仏の袈裟、いま釈迦牟尼仏著しましますに、長にあらず、ひろきにあらず。今釈迦牟尼仏の袈裟、弥勒如来著しましますに、みぢかきにあらず、せばきにあらず。

仏身の長短にあらざる道理、あきらかに観見し、決断し、照了し、警察すべきなり。梵王のたかく色界にある、その仏頂をみたてまつらず。目犍連はるかに光明幡世界にいたる、その仏声をきはめず。遠近の見聞ひとし、まことに不可思議なるものなり。如来の一切の功徳、みなかくのごとし。この功徳を念じたてまつるべし。

袈裟を裁縫するに、割截衣あり、揲葉衣あり、摂葉衣あり、縵衣あり。ともにこれ作法なり。その所得にしたがうて受持すべし。
仏言、三世諸仏袈裟、必定却刺(三世諸仏の袈裟は、必定して却刺なるべし)。

その衣財をえんこと、また清浄を善なりとす。いはゆる糞掃衣を最上清浄とす。三世の諸仏、ともにこれを清浄としまします。そのほか、信心檀那の所施の衣、また浄なり。あるいは浄財をもていちにしてかふ、また清浄なり。作衣の日限ありといへども、いま末法澆季なり、遠方辺邦なり。信心のもよほすところ、裁縫をえて受持せんにはしかじ。

在家の人天なれども、袈裟を受持することは、大乗最極の秘訣なり。いまは梵王釈王、ともに袈裟を受持せり。欲色の勝躅なり、人間には勝計すべからず。在家の菩薩、みなともに受持せり。震旦国には梁武帝、隋煬帝、ともに袈裟を受持せり。代宗、肅宗ともに袈裟を著し、僧家に参学し、菩薩戒を受持せり。その余の居士婦女等の受袈裟、受仏戒のともがら、古今の勝躅なり。

日本国には聖徳太子、袈裟を受持し、法華勝鬘等の諸経講説のとき、天雨宝花の奇瑞を感得す。それよりこのかた、仏法わがくにに流通せり。天下の摂籙なりといへども、すなはち人天の導師なり。ほとけのつかひとして衆生の父母なり。いまわがくに、袈裟の体色量ともに訛謬せりといへども、袈裟の名字を見聞する、ただこれ聖徳太子の御ちからなり。そのとき、邪をくだき正をたてずは、今日かなしむべし。のちに聖武皇帝、また袈裟を受持し、菩薩戒をうけまします。

しかあればすなはち、たとひ帝位なりとも、たとひ臣下なりとも、いそぎ袈裟を受持し、菩薩戒をうくべし。人身の慶幸、これよりもすぐれたるあるべからず。

有言、在家受持袈裟、一名単縫、二名俗服。乃未用却刺針而縫也。又言、在家趣道場時、具三法衣楊枝澡水食器坐具、応如比丘修行浄行(有るが言く、在家の受持する袈裟は、一に単縫と名づく、二に俗服と名づく。乃ち未だ却刺針して縫ふことを用ゐず。又言く、在家道場に趣く時は、三法衣楊枝澡水食器坐具を具して、応に比丘の如まにして浄行を修行すべし)。

古徳の相伝かくのごとし。ただしいま仏祖単伝しきたれるところ、国王大臣、居士士民にさづくる袈裟、みな却刺なり。盧行者すでに仏袈裟を正伝せり、勝躅なり。

おほよそ袈裟は、仏弟子の標幟なり。もし袈裟を受持しをはりなば、毎日に頂戴したてまつるべし。頂上に安じて、合掌してこの偈を誦す。

大哉解脱服、
無相福田衣。
披奉如来教、
広度諸衆生。
(大いなる哉解脱服、無相福田の衣。如来の教を披奉請して、広く諸の衆生を度さん。)
しかうしてのち著すべし。袈裟におきては、師想塔想をなすべし。浣衣頂戴のときも、この偈を誦するなり。

仏言、剃頭著袈裟、諸仏所加護、一人出家者、天人所供養(剃頭して袈裟を著せば、諸仏に加護せらる。一人出家せば、天人に供養せらる)。
あきらかにしりぬ、剃頭著袈裟よりこのかた、一切諸仏に加護せられたてまつるなり。この諸仏の加護によりて、無上菩提の功徳円満すべし。この人をば、天衆人衆ともに供養するなり。

世尊告智光比丘言、法衣得十勝利(世尊、智光比丘に告げて言はく、法衣は十勝利を得)。
一者、能覆其身、遠離羞耻、具足慚愧、修行善法。
(一つには、能く其の身を覆うて、羞耻を遠離し、慚愧を具足して、善法を修行す。)
二者、遠離寒熱及以蚊蟲悪獸毒蟲、安穏修道。
(二つには、寒熱及以び蚊蟲悪獸毒蟲を遠離して、安穏に修道す。)
三者、示現沙門出家相貌、見者歓喜、遠離邪心。
(三つには、沙門出家の相貌を示現し、見る者歓喜して、邪心を遠離す。)
四者、袈裟即是人天宝幢之相、尊重敬礼、得生梵天。
(四つには、袈裟は即ち是れ人天の宝幢の相なり、尊重し敬礼すれば、梵天に生ずることを得。)
五者、著袈裟時、生宝幢想、能滅衆罪、生諸福徳。
(五つには、著袈裟の時、宝幢の想を生ぜば、能く衆罪を滅し、諸の福徳を生ず。)
六者、本制袈裟、染令壊色、離五欲想、不生貪愛。
(六つには、本制の袈裟は、染めて壊色ならしむ、五欲の想を離れ、貪愛を生ぜず。)
七者、袈裟是仏浄衣、永断煩悩、作良田故。
(七つには、袈裟は是れ仏の浄衣なり、永く煩悩を断じて、良田と作るが故に。)
八者、身著袈裟、罪業消除、十善業道、念々増長。
(八つには、身に袈裟を著せば、罪業消除し、十善業道、念々に増長す。)
九者、袈裟猶如良田、能善増長菩薩道故。
(九つには、袈裟は猶ほ良田の如し、能善く菩薩の道を増長するが故に。)
十者、袈裟猶如甲冑、煩悩毒箭、不能害故。
(十には、袈裟は猶ほ甲冑の如し、煩悩の毒箭、害すること能はざるが故に。)

智光当知、以是因縁、三世諸仏、縁覚声聞、清浄出家、身著袈裟、三聖同坐解脱宝床。執智慧劍、破煩悩魔、共入一味諸涅槃界(智光当に知るべし、是の因縁を以て、三世の諸仏、縁覚声聞、清浄の出家、身に袈裟を著して、三聖同じく解脱の宝床に坐す。智慧の劍を執り、煩悩の魔を破り、共に一味の諸の涅槃界に入る)。

爾時世尊、而説偈言(爾の時に世尊、而も偈を説いて言く)、
智光比丘応善聴(智光比丘応に善く聴くべし)、
大福田衣十勝利(大田衣に十勝利あり)。
世間衣服増欲染(世間の衣服は欲染を増す)、
如来法服不如是(如来の法服は是の如くならず)。
法服能遮世羞耻(法服は能く世の羞耻を遮り)、
慚愧円満生福田(慚愧円満して福田を生ず)。
遠離寒熱及毒蟲(寒熱及び毒蟲を遠離して)、
道心堅固得究竟(道心堅固にして究竟を得)。
示現出家離貪欲(出家を示現して貪欲を離れ)、
断除五見正修行(五見を断除して正修行す)。
瞻礼袈裟宝幢相(袈裟宝幢の相を瞻礼し)、
恭敬生於梵王福(恭敬すれば梵王の福を生ず)。
仏子披衣生塔想(仏子披衣しては塔想を生ずべし)、
生福滅罪感人天(福を生じ罪を滅し人天を感ず)。
肅容致敬真沙門(肅容致敬すれば真の沙門なり)、
所為諸不染塵俗(所為諸の塵俗に不染なり)。
諸仏称讃為良田(諸仏称讃して良田と為したまふ)、
利楽郡生此為最(郡生を利楽するには此れを最れたりと為す)。

袈裟神力不思議(袈裟の神力不思議なり)、
能令修植菩提行(能く菩提の行を修植せしむ)。
道芽増長如春苗(道の芽の増長することは春の苗の如く)、
菩提妙果類秋実(菩提の妙果は秋の実に類たり)。
堅固金剛真甲冑(堅固金剛の真甲冑なり)、
煩悩毒箭不能害(煩悩の毒箭も害すること能はず)。
我今略讃十勝利(我今略して十勝利を讃む)、
歴劫広説無有辺(歴劫に広説すとも辺あること無けん)。
若有龍身披一縷(若し龍有りて身に一縷を披せば)、
得脱金翅鳥王食(金翅鳥王の食を脱るることを得ん)。
若人渡海持此衣(若し人海を渡らんに、此の衣を持せば)、
不怖龍魚諸鬼難(龍魚諸鬼の難を怖れじ)。
雷電霹靂天之怒(雷電霹靂して天の怒りあらんにも)、
披袈裟者無恐畏(袈裟を披たる者は恐畏無けん)。
白衣若能親捧持(白衣若し能く親しく捧持せば)、
一切悪鬼無能近(一切の悪鬼能く近づくこと無けん)。
若能発心求出家(若し能く発心して出家を求め)、
厭離世間修仏道(世間を厭離して仏道を修せば)、
十方魔宮皆振動(十方の魔宮皆な振動し)、
是人速証法王身(是の人速やかに法王の身を証せん)。

この十勝利、ひろく仏道のもろもろの功徳を具足せり。長行偈頌にあらゆる功徳、あきらかに参学すべし。披閲してすみやかにさしおくことなかれ。句句にむかひて久参すべし。この勝利は、ただ袈裟の功徳なり、行者の猛利恆修のちからにあらず。
仏言、袈裟神力不思議。
いたづらに凡夫賢聖のはかりしるところにあらず。

おほよそ速証法王身のとき、かならず袈裟を著せり。袈裟を著せざるものの法王身を証せること、むかしよりいまだあらざるところなり。その最第一清浄の衣財は、これ糞掃衣なり。その功徳、あまねく大乗小乗の経律論のなかにあきらかなり。広学諮問すべし。その余の衣財、またかねあきらむべし。仏々祖々、かならずあきらめ、正伝しましますところなり、余類のおよぶべきにあらず。

中阿含経曰(中阿含経曰く)、
復次諸賢、或有一人、身浄行、口意不浄行、若慧者見、説生恚悩、応当除之(復た次に諸賢、或し一人有りて、身浄行、口意不浄行ならんに、若し慧者見て、説し恚悩を生ぜば、応当に之を除すべし)。

諸賢或有一人、身不浄行、口浄行、若慧者見、説生恚悩、当云何除(諸賢、或し一人有りて、身不浄行、口浄行ならんに、若し慧者見て、説し恚悩を生ぜば、当に云何が除くべき)。

諸賢猶如阿練若比丘、持糞掃衣、見糞掃中所棄弊衣、或大便汚、或小便洟唾、及余不浄之所染汚、見已、左手執之、右手舒張、若非大便小便洟唾、及余不浄之所汚処、又不穿者、便裂取之。如是諸賢、或有一人、身不浄行、口浄行、莫念彼身不浄行。但当念彼口之浄行。若慧者見、設生恚悩、応如是除(諸賢、猶ほ阿練若比丘の如き、糞掃衣を持ち、糞掃の中の所棄の弊衣の、或いは大便に汚れ、或いは小便洟唾、及び余の不浄に染汚せられたるを見んに、見已りて、左の手に之を執り、右の手に舒べ張りて、若し大便小便洟唾、及び余の不浄に汚さるる処に非ず、又穿げざる者をば、便ち裂きて之を取る。是の如く諸賢、或し一人有りて、身不浄行、口浄行ならんに、彼の身の不浄行を念ふこと莫れ。但だ当に彼の口の浄行を念ふべし。若し慧者見て、設し恚悩を生ぜば、応に是のの如く除くべし)。

これ阿練若比丘の、拾糞掃衣の法なり。四種の糞掃あり、十種の糞掃あり。その糞掃をひろふとき、まづ不穿のところをえらびとる。つぎには大便小便、ひさしくそみて、ふかくして浣洗すべからざらん、またとるべからず。浣洗しつべからん、これをとるべきなり。

十種糞掃
一、牛嚼衣。
二、鼠噛衣。
三、火焼衣。
四、月水衣。
五、産婦衣。
六、神廟衣。
七、塚間衣。
八、求願衣。
九、王職衣。
十、往還衣。

この十種、ひとのすつるところなり、人間のもちゐるところにあらず。これをひろうて袈裟の浄財とせり。三世諸仏の讃歎しましますところ、もちゐきたりましますところなり。

しかあればすなはち、この糞掃衣は、人天龍等のおもくし擁護するところなり。これをひろうて袈裟をつくるべし。これ最第一の清浄なり、最第一の浄なり。いま日本国、かくのごとく糞掃衣なし、たとひもとめんとすともあふべからず、辺地小国かなしむべし。ただ檀那所施の浄財、これをもちゐるべし。人天の布施するところの浄財、これをもちゐるべし。

あるいは浄命よりうるところのものをもて、いちにして貿易せらん、またこれ袈裟につくりつべし。かくのごときの糞掃、および浄命よりえたるところは、絹にあらず、布にあらず。金銀珠玉、綾羅錦繍等にあらず、ただこれ糞掃衣なり。この糞掃は、弊衣のためにあらず、美服のためにあらず、ただこれ仏法のためなり。これを用著する、すなはち三世の諸仏の皮肉骨髓を正伝せるなり、正法眼蔵を正伝せるなり。この功徳さらに、人天に問著すべからず、仏祖に参学すべし。

正法眼蔵袈裟功徳第三

予在宋のそのかみ、長連床に功夫せしとき、斉肩の隣単をみるに、開静のときごとに、袈裟をささげて頂上に安じ、合掌恭敬し、一偈を默誦す。その偈にいはく、
大哉解脱服、無相福田衣。
披奉如来教、広度諸衆生。

ときに予、未曽見のおもひを生じ、歓喜身にあまり、感涙ひそかにおちて衣襟をひたす。その旨趣は、そのかみ阿含経を披閲せしとき、頂戴袈裟の文をみるといへども、その儀則いまだあきらめず。

いままのあたりにみる、歓喜隨喜し、ひそかにおもはく、あはれむべし、郷土にありしとき、をしふる師匠なし、すすむる善友あらず。いくばくかいたづらにすぐる光陰ををしまざる、かなしまざらめやは。いまの見聞するところ、宿善よろこぶべし。もしいたづらに郷間にあらば、いかでかまさしく仏衣を相承著用せる僧宝に隣肩することをえん。悲喜ひとかたならず、感涙千万行。

ときにひそかに発願す、いかにしてかわれ不肖なりといふとも、仏法の嫡嗣となり、正法を正伝して、郷土の衆生をあはれむに、仏祖正伝の衣法を見聞せしめん。

かのときの発願いまむなしからず、袈裟を受持せる在家出家の菩薩おほし、歓喜するところなり。受持袈裟のともがら、かならず日夜に頂戴すべし、殊勝最勝の功徳なるべし。一句一偈を見聞は、若樹若石の見聞、あまねく九道にかぎらざるべし。袈裟正伝の功徳、わづかに一日一夜なりとも、最勝最上なるべし。

大宋嘉定十七年癸未十月中に、高麗僧二人ありて、慶元府にきたれり。一人は智玄となづけ、一人は景雲といふ。この二人、しきりに仏経の義を談ずといへども、さらに文学士なり。しかあれども、袈裟なし、鉢盂なし、俗人のごとし。あはれむべし、比丘形なりといへども比丘法なし、小国辺地のしかあらしむるならん。日本国の比丘形のともがら、他国にゆかんとき、またかの智玄等にひとしからん。

釈迦牟尼仏、十二年中頂戴してさしおきましまさざりき。すでに遠孫なり、これを学すべし。いたづらに名利のために天を拝しを拝し、王を拝し臣を拝する頂門をめぐらして、仏衣頂戴に回向せん、よろこぶべきなり。

ときに仁治元年庚子開冬日在観音導利興聖宝林寺示衆
建長乙卯夏安居日令義演書記書写畢
同七月初五日一校了 以御草案為本
建治元年丙子五月廿五日書写了

※このページは学問的な正しさを追求するものではありません。より分かりやすくするために漢字をひらがなに、旧字体を新字体に、( )にふりがなをつけるなど、原文に忠実ではありません。

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