曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

身心学道(しんじんがくどう)「正法眼蔵」

投稿日:1242年9月9日 更新日:

仏道は、不道を擬するに不得なり、不学を擬するに転遠なり。
南嶽大慧禅師のいはく、修証はなきにあらず、染汚することえじ。
仏道を学せざれば、すなはち外道闡提等の道に墮在す。このゆゑに、前仏後仏かならず仏道を修行するなり。
仏道を学習するに、しばらくふたつあり。いはゆる心をもて学し、身をもて学するなり。

心をもて学するとは、あらゆる諸心をもて学するなり。その諸心といふは、質多心、汗栗駄心、矣栗駄心等なり。又、感応道交して、菩提心をおこしてのち、仏祖の大道に帰依し、発菩提心の行李を習学するなり。たとひいまだ真実の菩提心おこらずといふとも、さきに菩提心をおこせりし仏祖の法をならふべし。これ発菩提心なり、赤心片々なり、古仏心なり、平常心なり、三界一心なり。

これらの心を放下して学道するあり、拈挙して学道するあり。このとき、思量して学道す、不思量して学道す。あるいは金襴衣を祖々正伝し、金襴衣を稟受す。あるいは汝得吾髓あり、三拝依立而立あり。碓米伝衣する、以心学心なり。剃髪染衣、すなはち回心なり、明心なり。

踰城し入山する、出一心、入一心なり。山の所入なる、思量箇不思量底なり。世の所捨なる、非思量なり。これを眼睛に団じきたること二三斛、これを業識に弄しきたること千万端なり。かくのごとく学道するに、有功に賞おのづからきたり、有賞に功いまだいたらざれども、ひそかに仏祖の鼻孔をかりて出氣せしめ、驢馬の脚蹄を拈じて印証せしむる、すなはち万古の榜様なり。

しばらく山河大地日月星辰、これ心なり。この正当恁麼時、いかなる保任か現前する。山河大地といふは、山河はたとへば山水なり。大地は此処のみにあらず、山もおほかるべし、大須弥小須弥あり。横に処せるあり、竪に処せるあり。三千界あり、無量国あり。色にかかるあり、空にかかるあり。河もさらにおほかるべし、天河あり、地河あり、四大河あり、無熱池あり。北倶廬州には四阿耨達池あり。海あり、池あり。地はかならずしも土にあらず、土かならずしも地にあらず。土地もあるべし、心地もあるべし、宝地もあるべし。

万般なりといふとも、地なかるべからず、空と地とせる世界もあるべきなり。日月星辰は人天の所見不同あるべし、諸類の所見おなじからず。恁麼なるがゆゑに、一心の所見、これ一斉なるなり。これらすでに心なり。内なりとやせん、外なりとやせん。来なりとやせん、去なりとやせん。生時は一点を僧ずるか、僧ぜざるか。

死には一塵をさるか、さらざるか。この生死および生死の見、いづれのところにかおかんとかする。向来はただこれ心の一念二念なり。一念二念は一山河大地なり、二山河大地なり。山河大地等、これ有無にあらざれば大小にあらず、得不得にあらず、識不識にあらず、通不通にあらず、悟不悟に変ぜず。

かくのごとくの心、みづから学道することを慣習するを、心学道といふと決定信受すべし。この信受、それ大小有無にあらず。いまの知家非家、捨家出家(家、家に非ずと知りて捨家出家す)の学道、それ大小の量にあらず、遠近の量にあらず。鼻祖鼻末にあまる、向上向下にあまる。展事あり、七尺八尺なり。投機あり、為自為他なり。恁麼なる、すなはち学道なり。学道は恁麼なるがゆゑに、牆壁瓦礫これ心なり。

さらに三界唯心にあらず、法界唯心にあらず、牆壁瓦礫なり。咸通年前につくり、咸通年後にやぶる、拕泥滞水なり、無縄自縛なり。玉をひくちからあり、水にいる能あり。とくる日あり、くだくるときあり、極微にきはまる時あり。露柱と同参せず、燈籠と交肩せず。かくのごとくなるゆゑに赤脚走して学道するなり、たれか著眼看せん。翻筋斗して学道するなり、おのおの隨他去あり。このとき、壁落これ十方を学せしむ、無門これ四面を学せしむ。

発菩提心は、あるいは生死にしてこれをうることあり、あるいは涅槃にしてこれをうることあり、あるいは生死涅槃のほかにしてこれをうることあり。ところをまつにあらざれども、発心のところにさへられざるあり。境発にあらず、智発にあらず、菩提心発なり、発菩提心なり。発菩提心は、有にあらず無にあらず、善にあらず悪にあらず、無記にあらず。報地によりて縁起するにあらず、天有情はさだめてうべからざるにあらず。

ただまさに時節とともに発菩提心するなり、依にかかはれざるがゆゑに。発菩提心の正当恁麼時には、法界ことごとく発菩提心なり。依を転ずるに相似なりといへども、依にしらるるにあらず。共出一隻手なり、自出一隻手なり、異類中行なり。地獄、鬼、畜生、修羅等のなかにしても発菩提心するなり。

赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり。一片両片にあらず、片々なるなり。

荷葉団団団似鏡、菱角尖尖尖似錐

(荷葉団団、団なること鏡に似たり、菱角尖尖、尖なること錐に似たり)。

かがみににたりといふとも片々なり、錐ににたりといふとも片々なり。

古仏心といふは、むかし僧ありて大証国師にとふ、いかにあらむかこれ古仏心。

ときに国師いはく、牆壁瓦礫。

しかあればしるべし、古仏心は牆壁瓦礫にあらず、牆壁瓦礫を古仏心といふにあらず、古仏心それかくのごとく学するなり。

平常心といふは、此界他界といはず、平常心なり。昔日はこのところよりさり、こんにちはこのところよりきたる。さるときは漫天さり、きたるときは尽地きたる。これ平常心なり。平常心この屋裡に開門す、千門万戸一時開閉なるゆゑに平常なり。

いまこの蓋天蓋地は、おぼえざることばのごとし、噴地の一声のごとし。語等なり、心等なり、法等なり。寿行生滅の刹那に生滅するあれども、最後身よりさきはかつてしらず。しらざれども、発心すれば、かならず菩提の道にすすむなり。すでにこのところあり、さらにあやしむべきにあらず。すでにあやしむことあり、すなはち平常なり。

身学道といふは、身にて学道するなり。赤肉団の学道なり。身は学道よりきたり、学道よりきたれるは、ともに身なり。尽十方界是箇真実人体なり、生死去来真実人体なり。この身体をめぐらして、十悪をはなれ、八戒をたもち、三宝に帰依して捨家出家する、真実の学道なり。このゆゑに真実人体といふ。後学かならず自然見の外道に同ずることなかれ。

百丈大智禅師のいはく、若執本清浄本解脱自是仏、自是禅道解者、即属自然外道(若し本清浄、本解脱、自は是れ仏、自は是れ禅道の解と執せば、即ち自然外道に属す)。

これら閑家の破具にあらず、学道の積功累徳なり。ふ跳して玲瓏八面なり、脱落して如藤倚樹なり。或現此身得度而為説法なり、或現他身得度而為説法なり、或不現此身得度而為説法なり、或不現他身得度而為説法なり、乃至不為説法なり。

しかあるに棄身するところに揚声止響することあり、拾命するところに断腸得髓することあり。たとひ威音王よりさきに発足学道すれども、なほこれみづからが児孫として増長するなり。

尽十方世界といふは、十方面ともに尽界なり。東西南北四維上下を十方といふ。かの表裏縱横の究尽なる時節を思量すべし。思量するといふは、人体はたとひ自他に罣礙せらるといふとも、尽十方なりと諦観し、決定するなり。これ未曾聞をきくなり。方等なるゆゑに、界等なるゆゑに。

人体は四大五蘊なり、大塵ともに凡夫の究尽するところにあらず、聖者の参究するところなり。又、一塵に十方を諦観すべし、十方は一塵に嚢括するにあらず。あるいは一塵に僧堂仏殿を建立し、あるいは僧堂仏殿に、尽界を建立せり。これより建立せり、建立これよりなれり。

恁麼の道理、すなはち尽十方界真実人体なり。自然天然の邪見をならふべからず。界量にあらざれば広狹にあらず。尽十方界は八万四千の説法蘊なり、八万四千の三昧なり、八万四千の陀羅尼なり。八万四千の説法蘊、これ転法輪なるがゆゑに、法輪の転処は、亙界なり、亙時なり。方域なきにあらず、真実人体なり。いまのなんぢ、いまのわれ、尽十方界真実人体なる人なり。これらを蹉過することなく学道するなり。

たとひ三大阿僧祇劫、十三大阿僧祇劫、無量阿僧祇劫までも、捨身受身しもてゆく、かならず学道の時節なる進歩退歩学道なり。礼拝問訊するすなはち、動止威儀なり。枯木を画図し、死灰を磨甎す。しばらくの間断あらず。暦日は短促なりといへども学道は幽遠なり。捨家出家せる風流たとひ蕭然なりとも、樵夫に混同することなかれ。活計たとひ競頭すとも、佃戸に一斉なるにあらず。迷悟善悪の論に比することなかれ、邪正真偽の際にとどむることなかれ。

生死去来真実人体といふは、いはゆる生死は凡夫の流転なりといへども、大聖の所脱なり。超凡越聖せん、これを真実体とするのみにあらず。これに二種七種のしなあれども、究尽するに、面々みな生死なるゆゑに恐怖すべきにあらず。ゆゑいかんとなれば、いまだ生をすてざれども、いますでに死をみる。いまだ死をすてざれども、いますでに生をみる。

生は死を罣礙するにあらず、死は生を罣礙するにあらず、生死ともに凡夫のしるところにあらず。生は栢樹子のごとし。死は鐵漢のごとし。栢樹はたとひ栢樹に罣礙せらるとも、生はいまだ死に罣礙せられざるゆゑに学道なり。生は一枚にあらず、死は両疋にあらず。死の生に相対するなし、生の死に相待するなし。

圜悟禅師曰く、生也全機現、死也全機現、逼塞太虚空、赤心常片々(生も全機現なり、死も全機現なり。太虚空に逼塞(ひっそく:「逼」原本はもんがまえの漢字)し、赤心常に片々たり)。

この道著、しづかに功夫点撿すべし。圜悟禅師かつて恁麼いふといへども、なほいまだ生死の全機にあまれることをしらず。去来を参学するに、去に生死あり、来に生死あり、生に去来あり、死に去来あり。去来は尽十方界を両翼三翼として飛去飛来す、尽十方界を三足五足として進歩退歩するなり。

生死を頭尾として、尽十方界真実人体はよく翻身回脳するなり。翻身回脳するに、如一銭大なり、似微塵裏なり、平坦坦地、それ壁立千仭なり、壁立千仭処、それ平坦坦地なり。このゆゑに南州北州の面目あり、これを撿して学道す。非想非非想の骨髓あり、これを抗して学道するのみなり。

正法眼蔵身心学道第四

爾時仁治三年壬寅重陽日在于宝林寺示衆
仁治癸卯仲春初二日書寫 懐弉

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