曹洞宗 正伝の仏法

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正伝の仏法

他心通(たしんつう)「正法眼蔵」

投稿日:2020年9月24日 更新日:

西京光宅寺慧忠国師者、越州諸曁人也。姓冉氏。自受心印、居南陽白崖山党子谷、四十余祀。不下山門、道行聞于帝里。唐肅宗上元二年、勅中使孫朝進賚詔徴赴京。待以師礼。勅居千福寺西禅院。及代宗臨御、復迎止光宅精藍、十有六載、隨機説法。時有西天大耳三蔵、到京。云得他心慧眼。帝勅令与国師試験

(西京光宅寺慧忠国師は、越州諸曁の人なり。姓は冉氏なり。心印を受けしより、南陽白崖山党子谷に居すこと四十余祀なり。山門を下らず、道行帝里に聞ゆ。唐の肅宗の上元二年、中使孫朝進に勅して、詔を賚せて赴京を徴す。待つに師礼を以てす。勅して千福寺の西禅院に居せしむ。代宗の臨御に及んで、復た光宅の精藍に迎止すること十有六載、隨機説法す。時に西天の大耳三蔵といふものありて到京せり。他心慧眼を得たりと云ふ。帝、勅して国師と試験せしむ)。

三蔵才見師便礼拝、立于右辺(三蔵才に師を見て、便ち礼拝して右辺に立つ)。
師問曰、汝得他心通耶(汝他心通を得たりや)。
対曰、不敢。
師曰、汝道、老僧即今在什麼処(汝道ふべし、老僧即今什麼処にか在る)。
三蔵曰、和尚是一国之師、何得却去西川看競渡(和尚は是れ一国の師なり、何ぞ西川に却去いて競渡を看ることを得んや)。
師再問、老僧即今在什麼処(汝道ふべし、老僧即今什麼処にか在る)。
三蔵曰、和尚是一国之師、何得却在天津橋上、看弄猢猻(和尚は是れ一国の師なり、何ぞ天津橋の上に在つて、猢猻を弄するを看ることを得んや)。
師第三問、老僧即今在什麼処(汝道ふべし、老僧即今什麼処にか在る)。
三蔵良久、罔知去処(三蔵良久して去処を知ること罔し)。
師曰、遮野狐精、他心通在什麼処(遮の野狐精、他心通什麼処にか在る)。
三蔵無対(三蔵無対なり)。

僧問趙州曰、大耳三蔵、第三度、不見国師在処、未審、国師在什麼処(僧、趙州に問うて曰く、大耳三蔵、第三度、国師の在処を見ず、未審、国師什麼処にか在る)。
趙州云、在三蔵鼻孔上(三蔵が鼻孔上に在り)。
僧問玄沙、既在鼻孔上、為什麼不見(僧、玄沙に問ふ、既に鼻孔上に在り、什麼と為てか見ざる)。
玄沙云、只為太近(只だ太だ近きが為なり)。
僧問仰山曰、大耳三蔵、第三度、為什麼、不見国師(僧、仰山に問うて曰く、大耳三蔵、第三度、什麼と為てか国師を見ざる)。
仰山曰、前両度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見(前の両度は是れ渉境心なり、後には自受用三昧に入る、所以に見ず)。
海会端曰、国師若在三蔵鼻孔上、有什麼難見。殊不知、国師在三蔵眼睛裏(国師若し三蔵が鼻孔上に在らば、什麼の難見か有らん。殊に知らず、国師、三蔵の眼睛裏に在ることを)。
玄沙徴三蔵曰、汝道、前両度還見麼(玄沙、三蔵を徴して曰く、汝道ふべし、前の両度、還た見る麼)。
雪竇明覚重顕禅師曰、敗也、敗也。

大証国師の大耳三蔵を試験せし因縁、ふるくより下語し道著する臭拳頭おほしといへども、ことに五位の老拳頭あり。しかあれども、この五位の尊宿、おのおの諦当甚諦当はなきにあらず、国師の行履を覷見せざるところおほし。ゆゑいかんとなれば、古今の諸員みなおもはく、前両度は三蔵あやまらず国師の在処をしれりとおもへり。これすなはち古先のおほきなる不是なり、晩進しらずはあるべからず。

いま五位の尊宿を疑著すること両般あり。一者いはく、国師の三蔵を試験する本意をしらず。二者いはく、国師の身心をしらず。

しばらく国師の三蔵を試験する本意をしらずといふは、第一番に、国師いはく、汝道、老僧即今在什麼処といふ本意は、三蔵もし仏法を見聞する眼睛なりやと試問するなり。三蔵おのづから仏法の他心通ありやと試問するなり。当時もし三蔵に仏法あらば、老僧即今在什麼処としめされんとき、出身のみちあるべし、親曽の便宜あらしめん。いはゆる国師道の老僧即今在什麼処は、作麼生是老僧と問著せんがごとし。老僧即今在什麼処は、即今是什麼時節と問著するなり。在什麼処は、這裏是什麼処在と道著するなり。喚什麼作老僧の道理あり。国師かならずしも老僧にあらず、老僧かならず拳頭なり。大耳三蔵、はるかに西天よりきたれりといへども、このこころをしらざることは、仏道を学せざるによりてなり、いたづらに外道二乗のみちをのみまなべるによりてなり。

国師かさねてとふ、汝道、老僧即今在什麼処。ここに三蔵さらにいたづらのことばをたてまつる。
国師かさねてとふ、汝道、老僧即今在什麼処。ときに三蔵ややひさしくあれども、茫然として祗対なし。国師ときに三蔵を叱していはく、這野狐精、他心通在什麼処。かくのごとく叱せらるといへども、三蔵なほいふことなし、祗対せず、通路なし。

しかあるを、古先みなおもはくは、国師の三蔵を叱すること、前両度は国師の所在をしれり、第三度のみしらず、みざるがゆゑに、国師に叱せらるとおもふ。これおほきなるあやまりなり。国師の三蔵を叱することは、おほよそ三蔵はじめより仏法也未夢見在なるを叱するなり。前両度はしれりといへども、第三度をしらざると叱するにあらざるなり。おほよそ他心通をえたりと自称しながら、他心通をしらざることを叱するなり。

国師まづ仏法に他心通ありやと問著し試験するなり。すでに不敢といひて、ありときこゆ。そののち、国師おもはく、たとひ仏法に他心通ありといひて、他心通を仏法にあらしめば恁麼なるべし。道処もし挙処なくは、仏法なるべからずとおもへり。三蔵たとひ第三度わづかにいふところありとも、前両度のごとくあらば道処あるにあらず、縈じて叱すべきなり。いま国師三度こころみに問著することは、三蔵もし国師の問著をきくことをうるやと、たびたびかさねて三番の問著あるなり。

二者いはく、国師の身心をしれる古先なし。いはゆる国師の身心は、三蔵法師のたやすく見及すべきにあらず、知及すべきにあらず。十聖三賢およばず、補処等覚のあきらむるところにあらず。三蔵学者の凡夫なる、いかでか国師の渾身をしらん。

この道理、かならず一定すべし。国師の身心は三蔵の学者しるべし、みるべしといふは謗仏法なり。経論師と斉肩なるべしと認ずるは狂顛のはなはだしきなり。他心通をえたらんともがら、国師の在処しるべしと学することなかれ。

他心通は、西天竺国の土俗として、これを修得するともがら、ままにあり。発菩提心によらず、大乗の正見によらず。他心通をえたるともがら、他心通のちからにて仏法を証究せる勝躅、いまだかつてきかざるところなり。他心通を修得してのちにも、さらに凡夫のごとく発心し修行せば、おのづから仏道に証入すべし。

ただ他心通のちからをもて仏道を知見することをえば、先聖みなまづ他心通を修得して、そのちからをもて仏果をしるべきなり。しかあること、千仏万祖の出世にもいまだあらざるなり。すでに仏祖の道をしることあたはざらんは、なににかはせん。仏道に不中用なりといふべし。

他心通をえたるも、他心通をえざる凡夫も、ただひとしかるべし。仏性を保任せんことは、他心通も凡夫もおなじかるべきなり。学仏のともがら、外道二乗の五通六通を、凡夫よりもすぐれたりとおもふことなかれ。ただ道心あり、仏法を学せんものは、五通六通よりもすぐれたるべし。頻伽の卵にある声、まさに衆鳥にすぐれたるがごとし。いはんやいま西天に他心通といふは、他念通といひぬべし。

念起はいささか縁ずといへども、未念は茫然なり、わらふべし。いかにいはんや心かならずしも念にあらず、念かならずしも心にあらず。心の念ならんとき、他心通しるべからず。念の心ならんとき、他心通しるべからず。

しかあればすなはち、西天の五通六通、このくにの薙草修田にもおよぶべからず。都無所用なり。かるがゆゑに、震旦国より東には、先徳みな五通六通をこのみ修せず、その要なきによりてなり。尺璧はなほ要なるべし、五六通は要にあらず。尺璧はなほ宝にあらず、寸陰これ要樞なり。五六通、たれの寸陰をおもくせん人かこれを修習せん。おほよそ他心通のちから、仏智の辺際におよぶべからざる道理、よくよく決定すべし。しかあるを、五位の尊宿、ともに三蔵さきの両度は国師の所在をしれりとおもへる、もともあやまれるなり。国師は仏祖なり、三蔵は凡夫なり。いかでか相見の論にもおよばん。

国師まづいはく、汝道、老僧即今在什麼処。
この問、かくれたるところなし、あらはれたる道処あり。三蔵のしらざらんはとがにあらず、五位の尊宿のきかずみざるはあやまりなり。すでに国師いはく、老僧即今在什麼処とあり。さらに汝道、老僧心即今在什麼処といはず。老僧念即今在什麼処といはず。もともききしり、みとがむべき道処なり。しかあるを、しらずみず、国師の道処をきかずみず。かるがゆゑに、国師の身心をしらざるなり。

道処あるを国師とせるがゆゑに、もし道処なきは国師なるべからざるがゆゑに。いはんや国師の身心は、大小にあらず、自他にあらざること、しるべからず。頂あること、鼻孔あること、わすれたるがごとし。国師たとひ行李ひまなくとも、いかでか作仏を図せん。かるがゆゑに、仏を拈じて相待すべからず。

国師すでに仏法の身心あり、神通修証をもて測度すべからず。絶慮忘縁を挙して擬議すべからず。商量不商量のあたれるところにあらざるべし。国師は有仏性にあらず、無仏性にあらず、虚空身にあらず。かくのごとくの国師の身心、すべてしらざるところなり。いま曹谿の会下には、青原、南嶽のほかは、わづかに大証国師、その仏祖なり。いま五位の尊宿、おなじく勘破すべし。

趙州いはく、国師は三蔵の鼻孔上にあるがゆゑにみずといふ。この道処、そのいひなし。国師なにとしてか三蔵の鼻孔上にあらん。三蔵いまだ鼻孔あらず、もし三蔵に鼻孔ありとゆるさば、国師かへりて三蔵をみるべし。国師の三蔵をみること、たとひゆるすとも、ただこれ鼻孔対鼻孔なるべし。三蔵さらに国師と相見すべからず。

玄沙いはく、只為太近。
まことに太近はさもあらばあれ、あたりにはいまだあたらず。いかならんかこれ太近。おもひやる、玄沙いまだ太近をしらず、太近を参ぜず。ゆゑいかんとなれば、太近に相見なしとのみしりて、相見の太近なることをしらず。いふべし、仏法におきて遠之遠なりと。もし第三度のみを太近といはば、前両度は太遠在なるべし。しばらく玄沙にとふ、なんぢなにをよんでか太近とする。拳頭をいふか、眼睛をいふか。いまよりのち、太近にみるところなしといふことなかれ。

仰山いはく、前両度是渉境心、後入自受用三昧、所以不見。
仰山なんぢ東土にありながら小釈迦のほまれを西天にほどこすといへども、いまの道取、おほきなる不是あり。渉境心と自受用三昧と、ことなるにあらず。かるがゆゑに、渉境心と自受用とのことなるゆゑにみず、といふべからず。しかあれば、自受用と渉境心とのゆゑを立すとも、その道取いまだ道取にあらず。自受用三昧にいれば、他人われをみるべからずといはば、自受用さらに自受用を証すべからず、修証あるべからず。仰山なんぢ前両度は実に国師の所在を三蔵みるとおもひ、しれりと学せば、いまだ学仏の漢にあらず。

おほよそ大耳三蔵は、第三度のみにあらず、前両度も国師の所在はしらず、みざるなり。この道取のごとくならば、三蔵の国師の所在をしらざるのみにあらず、仰山もいまだ国師の所在をしらずといふべし。しばらく仰山にとふ、国師即今在什麼処。このとき、仰山もし開口を擬せば、まさに一喝をあたふべし。

玄沙の徴にいはく、前両度還見麼。
いまこの前両度還見麼の一言、いふべきをいふときこゆ。玄沙みづから自己の言句を学すべし。この一句、よきことはすなはちよし。しかあれども、ただこれ見如不見といはんがごとし。ゆゑに是にあらず。これをききて、
雪竇明覚重顕禅師いはく、敗也、敗也。
これ玄沙のいふところを道とせるとき、しかいふとも、玄沙の道は道にあらずとせんとき、しかいふべからず。

海会端いはく、国師若在三蔵鼻孔上、有什麼難見。殊不知、国師在三蔵眼睛裏。
これまた第三度を論ずるのみなり。前両度もかつていまだみざることを、呵すべきを呵せず。いかでか国師を三蔵の鼻孔上に、眼睛裏にあるともしらん。もし恁麼いはば、国師の言句いまだきかずといふべし。三蔵いまだ鼻孔なし、眼睛なし。たとひ三蔵おのれが眼睛鼻孔を保任せんとすとも、もし国師きたりて鼻孔眼睛裏にいらば、三蔵の鼻孔眼睛、ともに当時裂破すべし。すでに裂破せば、国師の窟籠にあらず。

五位の尊宿、ともに国師をしらざるなり。国師はこれ一代の古仏なり、一世界の如来なり。仏正法眼蔵あきらめ正伝せり。木槵子眼たしかに保任せり。自仏に正伝し、他仏に正伝す。釈迦牟尼仏と同参しきたれりといへども、七仏と同時参究す。

かたはらに三世諸仏と同参しきたれり、空王のさきの成道せり、空王ののちに成道せり。正当空王仏に同参成道せり。国師もとより裟婆世界を国土とせりといへども、裟婆かならずしも法界のうちにあらず、尽十方界のうちにあらず。釈迦牟尼仏の裟婆国の主なる、国師の国土をうばはず、罜礙せず。たとへば、前後の仏祖おのおのそこばくの成道あれど、あひうばはず、罣礙せざるがごとし。前後の仏祖の成道、ともに成道に罣礙せらるるがゆゑにかくのごとし。

大耳三蔵の国師をしらざるを証據として、声聞縁覚人、小乗のともがら、仏祖の辺際をしらざる道理、あきらかに決定すべし。国師の三蔵を叱する宗旨、あきらめ学すべし。

いはゆるたとひ国師なりとも、前両度は所在をしられ、第三度はわづかにしられざらんを叱せんはそのいひなし、三分に両分しられんは全分をしれるなり。かくのごとくならん、叱すべきにあらず。たとひ叱すとも、全分の不知にあらず。三蔵のおもはんところ、国師の懡㦬なり。わづかに第三度しられずとて叱せんには、たれか国師を信ぜん。三蔵の前両度をしりぬるちからをもて、国師をも叱しつべし。

国師の三蔵を叱せし宗旨は、三度ながら、はじめてよりすべて国師の所在所念、身心をしらざるゆゑに叱するなり。この宗旨あるゆゑに、第一度より第三度にいたるまで、おなじことばにて問著するなり。

第一番に三蔵まうす、和尚是一国之師、何却去西川看競渡。しかいふに、国師いまだいはず、なんぢ三蔵、まことに老僧所在をしれりとゆるさず。ただかさねざまに三度しきりに問するのみなり。この道理をしらずあきらめずして、国師よりのち数百歳のあひだ、諸方の長老、みだりに下語、説道理するなり。

前来の箇々、いふことすべて国師の本意にあらず、仏法の宗旨にかなはず。あはれむべし、前後の老古錐、おのおの蹉過せること。いま仏法のなかに、もし他心通ありといはば、まさに他身通あるべし、他拳頭通あるべし、他眼睛通あるべし。すでに恁麼ならば、まさに自心通あるべし、自身通あるべし。

すでにかくのごとくならんには、自心の自拈、いまし自心通なるべし。かくのごとく道取現成せん、おのれづから心づからの他心通ならん。しばらく問著すべし、拈他心通也是、拈自心通也是。速道速道(他心通を拈ずる也た是なりや、自心通を拈ずる也た是なりや。速やかに道へ速やかに道へ)。
是則且置、汝得吾髓、是他心通也(是なることは則ち且く置く、汝得吾髓、是れ他心通也)。

正法眼蔵第七十三

爾時寛元三年乙巳七月四日在越宇大仏寺示衆

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