總持寺で新入りの修行僧として修行していた期間は1年間でした。朝の坐禅を暁天(きょうてん)と言います。起きて半畳、寝て一畳という修行生活は、坐禅をする僧堂で寝て、振鈴で起きて洗面を済ますと、自分の座蒲を持って座れる場所を探し坐禅を行ないます。
坐禅中、ほど近い場所にある鐘鼓楼からは規則正しく鐘と太鼓の音が微かに聴こえてきます。45分ほど坐るとゆっくり歩く経行(きんひん)が行われます。この作法はお釈迦様の時代にまで遡ることが出来、最古の仏教テキスト「スッタニパータ」にも「そぞろ歩き」という表現で出てきます。
経行が終わると坐禅の後半戦です。修行に入ってすぐの時は、経行に際して、脚がしびれているけれど立ち上がって大丈夫だろうかなどと心配していたものですが、ほど良い緊張感のせいか、よろけるようなことはありませんでした。
前半の坐禅、そして経行を挟んでの後半の坐禅、この流れの静寂と、早春の冷ややかな澄み切った空気は心地よいものでした。暁天の後、法堂に移動して供養、祈祷の読経が始まります。
淡々と進む時間、きっと、今日も、明日も同じような空気感がそこにはあるのではないでしょうか。