瞑想日記

大本山總持寺での坐禅

總持寺で新入りの修行僧として修行していた期間は1年間でした。朝の坐禅を暁天(きょうてん)と言います。起きて半畳、寝て一畳という修行生活は、坐禅をする僧堂で寝て、振鈴で起きて洗面を済ますと、自分の座蒲を持って座れる場所を探し坐禅を行ないます。...
瞑想日記

意識するほど生きている実感がある

瞑想中、無意識で動いている体内および体外の環境を意識しています。普段、無意識に行なっている呼吸も瞑想中は意識することが多くなっていると気づく人は多いのではないでしょうか。瞑想から離れても、例えば血圧を測る時、呼吸の他、鼓動や脈が打つのを意識...
瞑想日記

歩きながら転輪瞑想をしてみました

仕事帰りに歩いていたら、天気も良いし、遠くの山も見えるし、転輪瞑想をしてみるか、と、思いついたので実践してみました。あまり車の来ない広めの道ですが、田んぼ側は落ちたら怪我をするので、完全に目をつぶることはしていません。歩きながらの動作です。...
つぶやき

「法という字は、さんずいに去るという字が書いてある。水が流れてゆくことは、人間が考えたことじゃないんですよ。法律とか憲法なんていっても、あんなことは約束ごとだ。そういうことと、いつになっても変わらない法というものがある。それが宗教の風光というものじゃ。」(余語翠巌)

瞑想日記

安全領域

坐禅、瞑想している時というのは、安全、安心な環境で、余裕のある時間を過ごし、内面的にも外面的にもつながりを感じ、幸福感を感じ、深い呼吸で、自分らしく、創造的で、喜びが湧いてくるような、静寂で、平穏で、冷静、明瞭な心と身体に整えられている安心...
瞑想日記

集中と夢中と熱中

瞑想は何かに意識して集中している状態で、見る、聴く、嗅ぐ、味わう、温度を感じる、接触部(床、座布団、イス等)を感じる、これらのことに集中して観察しています。その対象となるのは自身の内側であったり、外側の環境であったりします。夢中、熱中という...
瞑想日記

何をもって瞑想なのかということ

坐禅という言葉が悪いのかもしれませんが、坐ってじっとしていることだけが禅ではないですし、歩く禅もちゃんと作法があります。同じく、瞑想全体を見ても同じことが言えます。座っているだけが瞑想ではありません。瞑想という一つのジャンルがあったとすると...
つぶやき

「これはきれいな花だ、こっちはじゃまな雑草だというけれど、これは人間の都合の話。良い悪いと順番をつけるのは人間の都合であって、この世にものがあるということは、人間に都合が良いためにばかりあるんじゃないんですよ。」(水野梅秀)

瞑想日記

雪の日の瞑想的観察

朝の諸々を終えた後、箱根駅伝(復路)を見るためにテレビをつけたところ、画面に程近い窓から見える雪景色が美しく尊く、目が離せなくなったなったので、駒大の状況だけ確認してテレビは切りました。きのうから雪が降っていて、雪の状況自体は分かっていたの...
つぶやき

「一日一日も、一瞬一瞬も、何かのためにあるのではないのです。仕事をするために食事は適当に済まそうなどという人がいるが、仕事と食事をどちらが大事で、どちらが大事でないか分けてしまうのは、はからい心だ。有意義なことと無駄ごとの区別などはないのです。すべての営みにランク付けをしないのが、本当の生き方というものです。」(余語翠巌)