つぶやき

「宗教には入門も奥義もない。日々の生活そのものが宗教なのだから。」(余語翠巌)

水野梅秀

就職を前にして 求人昨年の五割増

こちらの記事も今はネットで閲覧出来ないけれど、何とか全文公開してくれないかなぁ。就職を前にして 求人昨年の五割増著者名 就職斡旋部 水野梅秀掲載誌情報 駒澤大学新聞第109号出版年 1958-10-04
水野梅秀

駒大随想 毛無げな話

師匠のこの記事を読みたいけれど、駒大に行けば読めるのかな??駒大随想 毛無げな話著者名 水野梅秀掲載誌情報 駒澤大学新聞第104号出版年 1957-12-14
つぶやき

「一日一日も、一瞬一瞬も、何かのためにあるのではないのです。仕事をするために食事は適当に済まそうなどという人がいるが、仕事と食事をどちらが大事で、どちらが大事でないか分けてしまうのは、はからい心だ。有意義なことと無駄ごとの区別などはないのです。すべての営みにランク付けをしないのが、本当の生き方というものです。」(余語翠巌)

つぶやき

「有限の移ろいゆく無常が、無限のものの一歩一歩ということができる。無限者、永遠のものが、有限を離れてどこかに別に存在するように思うのは大いなる錯覚である。」(余語翠巌)

つぶやき

「不殺生戒というのは、仏の御いのちを殺さないようにしなさいよということです。天地法界のいのちが、お互いに今の姿を借りてここにあるわけだから、それが仏のいのちなんだから、その場所にちゃんと整った姿でおれば、それが不殺生戒ということ。」(余語翠巌)

水野梅秀

大宝寺本堂で儀式を行う水野梅秀師匠。

水野梅秀

ミャンマー寺のギャネシュワール師と小学校校舎を寄贈したインドマイトリの会の水野梅秀会長。

(クシナガラにて/2007年2月21日)
つぶやき

「法という字は、さんずいに去るという字が書いてある。水が流れてゆくことは、人間が考えたことじゃないんですよ。法律とか憲法なんていっても、あんなことは約束ごとだ。そういうことと、いつになっても変わらない法というものがある。それが宗教の風光というものじゃ。」(余語翠巌)

つぶやき

「人の寸法でなく、仏さまの寸法で生きるということは、今この受けているいのちが、仏さまのいのちだということ。だから、がたがたいうことはいらん。みんな、がたがたいいすぎるんだ。」(余語翠巌)