瞑想中、無意識で動いている体内および体外の環境を意識しています。普段、無意識に行なっている呼吸も瞑想中は意識することが多くなっていると気づく人は多いのではないでしょうか。
瞑想から離れても、例えば血圧を測る時、呼吸の他、鼓動や脈が打つのを意識することが多いと思います。しかし、それらは意識しない間にも働いています。無意識に動いています。
血圧を測ったり、瞑想をしたりというのは健康を意識しているからだと思いますが、健康でないと仕事も勉強も遊びも楽しんで生きられません。自分の管理する範囲は定期的に見て廻ることで無意識に発生している異常の発見が出来るというわけです。
この宇宙や世界は常に動いている無意識の世界です。しかし、無意識は拡張したり、収縮したり一定ではないので、部分的に集中したり、集約されたりする部分が出て来て、そこに意識が生まれていると思います。
恐らく私の意識もそのような現象で、この身体の枠に収まっている間、無意識のバランスが整っている間、つまり、心と身体が整っている間、意識が現象する条件が満たされているのだろうと思っています。
先月、知らない間に背中に傷が出来ていました。きっと寝ている間に掻いたのだと思いますが、これは無意識にやったことで、意識していたらこんな痛いことはしません。この無意識の動きに悩まされる人は意外と多いと思います。
こういったことは起きている時にも起こり、頭で考えていること、意識していることとは違うことをしてしまっていることがあります。職場で塩分濃度計を手に取ったつもりで、実は温度計を確保していて、他の人の指摘があるまで気づかなかったというような。
自分の管理する範囲というのは、この生まれ持った身体とそれに付随する服や家、職場や学校の自分のスペースなど、身体以外にも及びます。ただし、他人の管理する範囲は人間社会において尊重し合う必要があります。
自分の管理する範囲には意識が及ぶのですが、基本的にはそこは無意識の世界です。自分とは意識という現象なのですが、自分の管理する範囲を意識すれば、その無意識は意識された内容に強く影響されます。
背筋をまっすぐにすることを意識しないまま何年も生きていると曲がった状態が楽になるし、肩甲骨を意識しないまま何年も生きていると肩甲骨の可動域が狭まり肩こり等の負荷を生み出します。
これはほんの一例ですが、意識しなくても生物として存在できますが、意識した方がより良く健康に生きられるのであれば、そうしない手はないのではないかと思います。
現代、仕事でも余暇でもスクリーンタイムが非常に多く、この文章もスクリーンタイムの上に成り立っています。スクリーンタイムの全てが悪いということではないのですが、画面の向こう側に意識を向けてばかりいると、向こう側の人が生き生きと得をするばかりで、こちら側の生きている本人は無意識の塊になりかねません。
この冬、庭木の冬越しのために菩提樹の樹、ブーゲンビリア、モンステラ、カレーリーフの各鉢植えを自室に置いています。瞑想もそばで行なって、近くで観察し、元気でいてくれように意識していると、こちらも心穏やかになります。
これは自分の管理する範囲を整える一例ですが、生活環境であったり、趣味の範囲であったり、そういった部分を意識することも大事だと思いますし、楽しく生きている実感がある部分だと思います。
基本的に起きている間は意識して動いていると思いますが、今の例のような身の周りの環境や、意識が宿る身体を意識することは大事です。意識すれば意識するほど生きている実感が湧きます。
途中、例にあげたような自分の管理する範囲を超えたような場所を意識しても、記憶に残ったりということがあっても、感覚的な生きている心地が増していくことは少ないかもしれません。しかし、そこからアイデアを得たのであれば意識して、自分の身体を動かして実践していくことが必要です。