子どもの頃は年末に家で機械を使いお餅つきをするのが楽しみでした。餅つきをする前の日から大きな入れ物にもち米と水を入れて準備しておき、翌日に機械で何度も餅をついていきます。白い丸餅、餡子を入れた餅、角餅、そして、仏壇用の鏡餅。
生家には浄土宗の仏壇がありました。大・中の2段にした鏡餅をお供えします。家にあるお餅の中で一番大きなお餅です。子どもの頃には何の意味も分からないながら、このような年中行事を楽しみにしていました。
時は経ち、大学生の時は年末年始は休みなくお師匠さん(水野梅秀)の手伝いをしていました。どこに鏡餅をお供えしないといけないのかをお師匠さんに確認しながら紙に「小の鏡餅いくつ」「中の鏡餅いくつ」と記入していくと、20くらいにはなったと思います。長持ちするようにとパックの鏡餅です。これは後に昼ごはんになります。
本尊にお供えする鏡餅はパックではなく、檀家さんが準備してくれた立派なものでした。どの鏡餅も半紙に載せてお供えしますが、紙の折り方などお供えの仕方も伝統的な決まりがありました。また、福井県にある曹洞宗大本山永平寺では、年末に雲水総出で餅つきをします。餅を綺麗に丸めて鏡餅とし、本尊へのお供えや、道元禅師をはじめ歴代住職へのお供え、修行僧が食べる分にします。
鏡餅の起源は古く、平安時代に著された『源氏物語』にも、御所に仕える女房達が年頭に長寿を祝う儀式に餅鏡を取り寄せたという記述があります。曹洞宗のお坊さんは、鏡餅をお供えのほかに、年賀状の起源とも言われる「寿餅」(じゅびょう)という作法に用います。
1人のお坊さんが住職資格を得るまでには三人のお師匠さんが必要です。まず、髪を剃り僧侶にしていただいた最初の師匠(得度)、次に、禅問答を通じて一人前と認めていただいた時の師匠(立身)、そして最後が、お釈迦さまから正しく伝わる正伝の仏法を授かった師匠(伝法)の3人です。
正月の三が日、鏡餅の前でお経を唱え、この3人のお師匠さんが「丈夫で長生きし、良ことがありますように」と願いを込めて祈り、その寿餅を年始の挨拶の時に届けるという作法です。お師匠さんが亡くなった場合は寿餅ではなく「献餅」(けんびょう)と言います。
得度と伝法のお師匠さんは水野梅秀であり、内弟子生活していた時はお師匠さん自身には改まった「寿餅」の作法をしなくていいからと言われると同時に、立身のお師匠さんには丁寧に「寿餅」の作法をするようにと教えていただきました。
私の場合は、曹洞宗のお師匠方以外にもご指導いただいた方々がいたり、同行同学のお世話になった方々に対して、毎年心を込めて「寿餅」「献餅」の作法を行っています。ただ、届けることはしていません。貴重な時間を奪うことになれば迷惑ですからね。自分とつながりのある人の幸せを願うことは大事なことだと思います。