私もまもなく80才で、兵庫県へ来てから40年たっております。この服装はあまり日本の坊さんは着ていませんが、東南アジアなどでは、お坊さんはキャーシャ色という、こういう色(だいだい色)の袈裟を着ています。私もインドに行く時はいつもこの服装でいきます。これを作ったのは、今から37年前、初めてインドに行った時です。5年前に足を骨折して、最近は行っておりませんが、以前は毎年2回から3回は行っておりました。
今日お話しすることは、「インドマイトリの会」の会報64号にアウトラインが書いてあります。まずこれを読んでみましょう。
「私たちインドマイトリの会は、釈尊涅槃の聖地クシナガラの子どもたちに教育支援活動をはじめてから14年になります。クシナガラの地は農村地帯で、見渡す限り田畑が広がりおそらく今も、釈尊在世当時と変わらない光景ではないかと思います。一見豊かな村落にみえますが、豊かなのはひとにぎりの人で、村人たちは小作人としてわずかな賃金で黙々として働くばかりで、教育とは無縁のまま何百年も過ごしてきました。
近年、篤志者により、集落にようやく小学校と名のつくものができてきましたが、竹の柱に藁を葺いただけの小屋同然で、子どもたちは地面に座り込んで勉強している現実を前に、かつては、お釈迦様がお弟子さまと歩かれた道、最後の沐浴をされた川、入滅された沙羅双樹の林など、どこを見ましても当時の面影が彷彿として浮かんでくるのです。今日本で仏教徒として、なに不自由なく暮らしている私たちが、このご恩を釈尊の聖地の子どもたちにお返しできないかと始めたのが、インドマイトリの会であります。
まずレンガづくりの校舎を建てることにより、子どもたちが雨の日も安心して勉強ができるようになりました。建設費は1校舎5教室、当所250万円、25校建てました。教科書、ノート、鉛筆を配り、冬の日もはだか同然の子どもたちに1500人分のセーターを渡しました。セーター1枚250円でした。
先生方を集めて教科の指導方法など、子どもたちのためになにができるか話し合いました。子どもたちの家庭は貧しく、わずか20ルピー、60円の月謝が払えないため、先生の給料が出ず、閉校の危機にある学校になにか援助できないものか。また、まだまだ残るわら小屋校舎の改築、机イスの設置、教材の点など、子どもたちが安心して学べる環境づくりには道半ばです。
日本国内での援助を募るため、今年4月にNPO法人の認証を受け、活動にはずみがつきました。どうか、寺院のみなさま、仏教徒のみなさま、心豊かなみなさま、インドマイトリの会にご縁を結んでいただき、クシナガラの子どもたちと喜び悲しみ、学ぶことの楽しさを共有していただけないでしょうか。この子どもたちの中から将来インドの貧困に立ち向かってくれる人物が出てくれることは間違いありません。ご理解とご支援を心よりお願い申しあげます」
(第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)資料より編集して掲載)
※2020年現在、インドマイトリの会の活動は休止しています。