食べていることが自分のいのちの歩み

投稿日:2020年1月18日 更新日:

1日に朝・昼・晩の3食を食事の機会とするのが日本の定番です。料理をしたり、食べに行ったり、1日に3回は食べるために動いている人が多いはずです。1食でも食べずにいるとお腹が減ってしまい、人は食べなければ生きていけないと感じてしまうわけですが、そういうことを考えると誰もが身体を維持するために栄養が必要だからだとか、食べる楽しみがあった方が良いからだとかいう話をします。

そのように、食べることを「身体を維持するため」の手段として、または、食べることを「楽しむ」手段として考える人が多いかと思います。大師匠(余語翠巌)が言うには「食べていることが自分のいのちの歩みなのです。どの一歩もゆるがせにできないものです。全生涯を通じてそういうことです。そういう考え方に遠ざかっておるから、余命などという言葉が出てくるのです。余ったいのちだという。定年などという馬鹿げた制度があるから、そういうことになる。それまでが本当のいのちで、その後は余ったいのちだそうです。余ったいのちが長くて困るという話になる。」

テレビ・スマホ・本を見ながらご飯を食べることもあるかもしれませんが、そういった時には大抵がお腹が満たされればいいという考えで、食事は二の次という考えだと思います。科学的・学問的に栄養を採ることができれば大丈夫ということでも、「自分のいのちの歩み」として相応しいかどうかは自ずと分かることでしょう。

-余語翠巌



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