インド・クシナガラに涅槃苑が建立されたのは1990年(平成2年)2月。涅槃苑落慶法要は大師匠(余語翠巌)が勤め、師匠と共に、この時は前後8日間程インドに滞在しました。
クシナガラの涅槃苑は師匠が中心になって進めたクシナガラ涅槃苑建立維持会のプロジェクトで、日本人対象の納骨堂と納経堂の役割を担っています。
(2006年7月2日撮影)
同年、1990年の11月~12月にも訪印納経使節団ツアーが実施され、師匠も同行した日程の資料が残っていたので参考に掲載します。
11/21(水)大阪(午後)⇒デリー
11/22(木)祇園精舎参拝
11/23(金)クシナガラ涅槃堂参拝、涅槃苑納経法要
11/24(土)ルンビニ釈尊生誕地参拝
11/25(日)鹿野苑参拝
11/26(月)ベナレス・ガンジス河
11/27(火)ブッダガヤ成道地参拝
11/28(水)ラージギル霊鷲山
11/29(木)パトナ⇒デリー
11/30(金)アグラ、タージマハル観光
12/1(土)デリー観光、デリー(夕方)⇒12/2(日)大阪朝着
涅槃苑の場所はお釈迦様が火葬された荼毘塚から近いのだけれど、クシナガラの中心部からは少し離れています。師匠曰く「騙されてここになった」とのことで、この場所しか使える土地はないとか、そのようなことを言われたらしいです。本当ならば涅槃堂の近くであったり、ホテルが数軒建っている場所に建立したかったようです。
インドの土地は当時、外国人が買うことが出来なかったため、師匠の土地でも、クシナガラ涅槃苑建立維持会の土地でもありません。現地法人は設立したものの、現地の協力者を信用しすぎたために、この涅槃苑を建立、運営していくための資金の大半は、涅槃苑が建立されたすぐ後に建てられた某ホテルの建設費にに吸い取られたと聞いています。
涅槃苑は石造りで、メモリアルストゥーパにを囲うように石塔が建っています。その石塔も一固まりの石を彫刻するように注文していたものの、出来て見れば石の板を数枚張り合わせたもので、安く済まされていたとのこと。そのことは残念なことだけれど、その石塔の一本一本には寄付をした寺院の名前が刻まれている貴重なものであることは事実です。
(石塔/石柱:ピンぼけしているが、師匠の寺の名前、「宝塚市 大宝寺」とある。中央の道かつメモリアルストゥーパに一番近い場所に建つ)
2005年、2006年頃、日蓮宗の伊藤師と共にこの涅槃苑の登記について調べましたが、調べた結果をもって実際の権利者がどう動いたか、どう実務者に指示をだしたかは私の知る限りではありません。
涅槃苑の位置は下の地図で見るとこのようなところにあります。この画像では緑に囲まれていますが、中央に丸く見えるのが涅槃苑のメモリアルストゥーパです。ご覧のように整備されていません。私も2006年頃以降は関わっていない為、ましてや関わってくれという話も来ない為、知り得ることをこのようにまとめているに過ぎません。ただし、2017年8月に師匠の墓参りにクシナガラを訪れた際、まだあることは確認しています。
念のために、次にも同じ画像になるかもしれませんが、2024年6月現在のスクショも掲載しておきます。
(2006年7月2日撮影の画像の時点で整備されていないことが分かる。現在は??)
最後に、本文でも書いた想定外のことがあったため、師匠の情熱は涅槃苑から離れていきます。騙されて目が覚めたということです。「日本人の為の納骨堂と納経堂」から「現地の不就学児童の教育支援」へとすぐに気持ちと行動が切り替わることになります。