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水野梅秀

特定非営利活動法人インドマイトリの会 第7回

投稿日:2009年1月9日 更新日:

91年、宝塚市の大宝寺住職の水野梅秀さんがクシナガラを巡礼した際、学校に行けない子どもたちに胸を痛め、「聖地に幼稚園を作りたい」と呼びかける内容だった。角田さんはすぐに協力を申し出、聖地訪問ツアーに同行した。
「村に入って、貧困の度合いのすごさに言葉を失いました。学校どころか、家族が食べる米や麦まで不足していましたから」
ツアーに参加した人々が出し合った40万円でレンガの教室を造ることができた。その中の有志5人で会を立ち上げ、水野さんが理事長、角田さんが事務局長に就任した。(リンク先より)

【特定非営利活動法人インドマイトリの会】第7回

水野梅秀 略歴

(※以下、転載)
 インド北東部に位置するクシナガラは釈尊入滅(釈迦の死)の地とされる4大聖地の一つである。世界中から巡礼者が絶えない田園地帯は、しかし産業に乏しい貧困地域でもあり、学校に通えない子どもたちが多数いる。その子らのために教育支援を行う「インドマイトリ(慈愛)の会」の現地スタッフ、角田直美さんは「もうわたしは半分インド人ですよ」というほど現地にはまり込んでいる。
 1934年、横浜市生まれ。お茶の水女子大卒業後、テレビ界のフリー・ディレクターとして多くのドキュメンタリー作品を撮った。「真珠の小箱」(毎日放送)や「映像タイムトラベル」(朝日放送)といった番組を記憶している方も少なくあるまい。
 30年前、何気なくインド観光ツアーに加わりガンジス川を訪れたとき、人々がお祈りや沐浴をしている横で死体を燃やしている光景にショックを受けた。「日本では死は隠されていますが、日常の同じ面に生と死が普通に存在していることに底知れないすごさを感じて……」
 以後、インド旅行を繰り返す内に「たくさんの気をもらって、何か恩返しできないものか」と思い始めたころ、目に止まった記事が転機となる。
91年、宝塚市の大宝寺住職の水野梅秀さんがクシナガラを巡礼した際、学校に行けない子どもたちに胸を痛め、「聖地に幼稚園を作りたい」と呼びかける内容だった。角田さんはすぐに協力を申し出、聖地訪問ツアーに同行した。
 「村に入って、貧困の度合いのすごさに言葉を失いました。学校どころか、家族が食べる米や麦まで不足していましたから」
 ツアーに参加した人々が出し合った40万円でレンガの教室を造ることができた。その中の有志5人で会を立ち上げ、水野さんが理事長、角田さんが事務局長に就任した。
 会では寄付金や外務省「NGO助成金」によってほぼ毎年2校ずつ小学校を建設していく。2003年には24校に達し、ハード面からソフト面の充実に向けた活動を模索する時期に入っていた。ちょうどそのころ、角田さんは「インドにどっぷりつかる生活」を始めるために移住する決意を固めていた。そして30年間にわたったディレクターの仕事に終止符を打ち、会の現地スタッフとして活動を開始したのである。
 まず全学校をまわって実態調査を行うと、学生数は増加していたが、まだ不就学の子が多数見られた。一軒一軒訪ね歩いて親に教育の重要性を訴えた。また各学校には机や椅子、教科書や文房具を寄贈した。
 「何も字を書けなかった子が本を読めるようになると、涙が出るほどうれしい」
 数年前に両親を亡くした姉弟は中学生になった。農作業中に右手を失った少年は、頭を使う仕事につこうと懸命に学ぶ。卒業生の青年は会計士を目指して勉強に励んでいる……。村の就学率はかつての25%から70、80%にまで上昇した。
 「わたしは子どもたちに良かれと思って活動してきましたが、いつもこれで良かったのかと悩んでいました」と角田さんがつぶやく。「でも、“野生”のようだった子どもたちがしだいに知性を身につけて、顔の表情まで変わっていくのを見ると、やはり間違ってはいなかったと思うんですよ」
 昨年、交通事故に遭い左半身が腫れ上がった。骨折ではないと診断されたが、激痛で動けなくなったため、精密検査したところ、骨が壊死寸前にまで傷んでいた。人工関節を付けた足はいまでも痛みが取れず、毎日鎮痛剤を欠かすことができない。
 現地の気温は、夏は46、7度まで昇り、冬は3、4度まで下がる。事務所兼住居にはもちろんエアコンなどなく、扇風機とたき火で暑さ寒さをしのぐ。それでも連日、足を引きずるようにして学校を、家庭を回り続ける。そこに自分を必要とする人々がいるから。

-水野梅秀



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