自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること
お互に自分達の願いの中味を吟味して見ると、わがままなことが多いものである。ある基教信者の述懐をきいたことがある。その人は関東大震災にあって、非常な苦しみを味わった時に、何故こんな苦しみにあわねばならぬのかと神をうらみに思うたけれども、よくよく考えて見れば、幸不幸、善悪は凡夫心のこちら側で判断することではなく、神の思し召しにまかすことであったと気づいて、目からうろこが落ちたように信心のすがたが定まったと云うのである。お互いの考えは夫々違っている、寸法がちがっている。山の人と海の人が宿に泊って話をした。山の人はお日様は山から出て山へ入るという。海の人はお日様は海から出て海へ入ると云う。宿の番頭さん...