余語翠巌

余語翠巌

余語翠巌老師の法話を視聴している。宗教の風光の話。

余語翠巌老師の法話を視聴している。宗教の風光の話。・余語翠巌 略歴
余語翠巌

アダムとイヴが禁断の木の実を食べて

アダムとイヴが禁断の木の実を食べてエデンの園から追放されたというが、あれは人間が分別を持つことで神の国から追放されたんじゃな。余語翠巌老師・余語翠巌 略歴
余語翠巌

人生はな、何もなかれと願うけれど、

「人生はな、何もなかれと願うけれど、何もなくてみい。退屈でかなわないぞ。いろいろあるからいいんじゃ。」これは会社の事、家庭の事で悩んでいる青年に語りかけられた余語翠厳老師の言葉である。・余語翠巌 略歴
余語翠巌

禅の高僧、余語翠巖(よご・すいがん)老師の教え!

余語先生の「人生のとらえ方」がよく現れているエピソードを著書「従容録(地湧社)」から抜粋して、引用しましょう。いつか、長崎に行ったときに、運転してくれた人が、故郷を出てからの苦労話をずうっと綿々していました。私(余語)は、後ろの座席で聞いて...
余語翠巌

真理は一つ、切り口の違いで争わぬ。

真理は一つ、切り口の違いで争わぬ。余語翠巌・余語翠巌 略歴
余語翠巌

「こころの時代」で放映されたものより

(前略)青山:今の一当は、今初めて一度当たることができた。今初めて矢が的に当たることができたのは、過去の百回千回の失敗にめげずに、一度一度を大事に努めることによって、熟して、やっと今一度当たることができたぞ、と。「今の一当は過去の百不当の力...
余語翠巌

余語翠巌老師 ①「悟りとは、気づくこと」

今朝の夢、それは、わが輩の尊敬する大雄山の山主だった余語翠巌老師の夢です。「寂しさも、是また煩悩なり。煩悩即菩提なり!」食欲、性欲、物欲、名誉欲、人間にはいろんな欲望という煩悩がある。煩悩がある故、悩む。しかし、その煩悩に、悩む思いに、素直...
余語翠巌

無の眼耳鼻舌心意あり

村上和雄先生が力説する「サムシング・グレート」は、般若心経の「無」に通じますね。「名状しがたき命の根源」。わが師 故余語翠厳老師曰く「無の眼耳鼻舌心意あり」。毎朝、父の仏前で読経する私。・余語翠巌 略歴
余語翠巌

朝参りお知らせ | 栃木県宇都宮市の祥雲寺(曹洞宗)

祥雲寺西国観音霊場の観音像は、先代裕之和尚が発願し真岡の石工綱川一氏によって昭和56年から58年にかけて刻まれたものです。先代が遷化した昭和62年当時は本堂の周りに並んで置いてありました。これを墓地以外の境内全域に安置することとし、魂のこも...
余語翠巌

玉宝寺の聯

★4点の聯は余語翠巖老師の書です。※リンク先に画像あり雲収山骨露    雲収(おさ)まりて山(さん)骨(こつ)露(あら)われ 雨過四山低    雨過ぎて四山(しざん)低し鶏向五更啼    鶏(とり)は五(ご)更(こう)向(に)啼き三年逢一閏...