余語翠巌

無一物

私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた...
余語翠巌

貸家と唐様に書く三代目

昔の川柳に「貸家(かしいえ)と唐様(からよう)に書く三代目」と云うのがある。蛇足の解説を加えて見よう。初代は無一物から、身体一つで鋭々努力して産をなした人である。その身代を継いで二代目は実直に事業を守って行く。三代目は祖父たる初代の苦労を知...
正伝の仏法

自分のことは自分でする

昨夜、元總持寺貫主の板橋興宗禅師が夢に出てきた。目が覚める思いというか、本当に目が覚めた。どういうわけか空から見下ろしていると、どこかの寺の山門で禅師ともう一人の僧が話している。そんな光景を有難く見ているという設定だ。そう言えば、近頃、図書...
水野梅秀

クシナガラ涅槃苑

お師匠(水野梅秀)さんは1970年前後にインドの仏跡を巡拝して大変感動したと何度も語っていました。それ以来、30人から100人の人たちを連れて毎年インドに行くようになったのですが、何故、そんな多くの人たちを連れていけたのかというと、曹洞宗の...
余語翠巌

明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転

明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31...
余語翠巌

総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件

宗報の法規令達の総目録総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 昭和3年9月17日・黒田鉄巌 略歴参考画像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
余語翠巌

感謝を忘れず真人になる

曹洞宗大本山總持寺教育機関である総持学園の90周年を記念する冊子「感謝を忘れず真人になる」には、その歴史が記載されています。関東大震災の翌年の大正13(1924)年に、大本山總持寺御開山瑩山禅師600回大遠忌を記念して、光華女学校として発足...
余語翠巌

食べていることが自分のいのちの歩み

1日に朝・昼・晩の3食を食事の機会とするのが日本の定番です。料理をしたり、食べに行ったり、1日に3回は食べるために動いている人が多いはずです。1食でも食べずにいるとお腹が減ってしまい、人は食べなければ生きていけないと感じてしまうわけですが、...
水野梅秀

阪神淡路大震災でお寺が傾く

阪神淡路大震災は兵庫県南部で1995年(平成7年)1月17日5時46分に起きました。お師匠(水野梅秀)さんはその当時、宝塚市仏教会の会長をしていました。宝塚市というのはまさに兵庫県南部ですから、お師匠さんのお寺も倒壊は免れたものの本堂の柱が...
水野梅秀

第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)

晩年のお師匠さんの講演内容をまとめた文章を掲載します。第三分科会「平和・人権・憲法」講演(2005年)資料より何回かに分けて記事にしましたが、一覧にしておいたので、興味があるところから読んでみてください。講演会は時間が限られたものですが、折...