普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)/道元
原ぬるに夫れ、道本圓通、爭か修証を假らん。宗乗自在、何ぞ功夫を費さん。况んや、全体遙かに塵埃を出ず、孰か拂拭の手段を信ぜん。大都、当処を離れず、豈修行の脚頭を用うる者ならんや。然れども、毫釐も差あれば、天地懸に隔たる。違順纔かに起れば、紛然として心を失す。直饒、会に誇り、悟に豊かにして、瞥地の智通を獲、道を得、心を明めて、衝天の志気を挙し、入頭の辺量に逍遙すと雖も、幾ど出身の活路を虧闕す。矧んや、彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見つべし、少林の心印を伝うる、面壁九歳の声名尚聞こゆ。古聖既に然り、今人盍ぞ弁ぜざる。 所以に須らく言を尋ね語を逐うの解行を休すべし。須らく囘光返照の退歩を学すべし。...