
buddhism


「有限の移ろいゆく無常が、無限のものの一歩一歩ということができる。無限者、永遠のものが、有限を離れてどこかに別に存在するように思うのは大いなる錯覚である。」(余語翠巌)

「不殺生戒というのは、仏の御いのちを殺さないようにしなさいよということです。天地法界のいのちが、お互いに今の姿を借りてここにあるわけだから、それが仏のいのちなんだから、その場所にちゃんと整った姿でおれば、それが不殺生戒ということ。」(余語翠巌)

大宝寺本堂で儀式を行う水野梅秀師匠。

ミャンマー寺のギャネシュワール師と小学校校舎を寄贈したインドマイトリの会の水野梅秀会長。
(クシナガラにて/2007年2月21日)

「法という字は、さんずいに去るという字が書いてある。水が流れてゆくことは、人間が考えたことじゃないんですよ。法律とか憲法なんていっても、あんなことは約束ごとだ。そういうことと、いつになっても変わらない法というものがある。それが宗教の風光というものじゃ。」(余語翠巌)

「人の寸法でなく、仏さまの寸法で生きるということは、今この受けているいのちが、仏さまのいのちだということ。だから、がたがたいうことはいらん。みんな、がたがたいいすぎるんだ。」(余語翠巌)

「お互いの毎日毎日の歩みが一大事で、日常のごくありふれた出来事をつまらないと思わず、人生の一歩一歩に一大事を見つけることが大切なことです。」(水野梅秀)

「山川草木悉皆成仏とは、山が山であり、川が川であり、草が草であり、木が木であることを成仏という。人は死ぬと仏になるとよくいうことであるが、そういうことではない。仏というものをもちだして、仏と仏でないものというように分けることが迷いのもとである。」(余語翠巌)
