つぶやき

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曹洞宗関連のウェブサイトなのに最近は野菜ばかりの更新ですが、曹洞宗を全国に弘めた瑩山禅師の教えにはこうあります「鍬をふるって田畑を耕すように、自らの心をしっかりと耕していきなさい」

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スナップエンドウの蔓を巻き付ける用の網をそろそろ設置したいところ。枝豆とビーツの種も水に浸けています。

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植物のお世話をしていると無心になれます。どうやれば上手く育つか、考え、調べ、実践して、日々の成長を楽しんでいるからだと思います。畑仕事だけではなく、それは何事にも共通している原理で、自分の意志で相手を思いやり、優しく接することで、自分と他者との関係を築くことができるのではないでしょうか。よって、自分だけの心ではない、相手との関係によって心の状態がどこまでも広がれば、無心、無我、空、といった言葉の意味も見えて来るかもしれません。

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4月12日を種まき1日目とすると今日で8日目。ベビーリーフ以外の発芽はあるのかないのか。種まきタイミングが悪かったかな??寒い日が続いたので・・。

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「宗教には入門も奥義もない。日々の生活そのものが宗教なのだから。」(余語翠巌)

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「一日一日も、一瞬一瞬も、何かのためにあるのではないのです。仕事をするために食事は適当に済まそうなどという人がいるが、仕事と食事をどちらが大事で、どちらが大事でないか分けてしまうのは、はからい心だ。有意義なことと無駄ごとの区別などはないのです。すべての営みにランク付けをしないのが、本当の生き方というものです。」(余語翠巌)

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「有限の移ろいゆく無常が、無限のものの一歩一歩ということができる。無限者、永遠のものが、有限を離れてどこかに別に存在するように思うのは大いなる錯覚である。」(余語翠巌)

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「不殺生戒というのは、仏の御いのちを殺さないようにしなさいよということです。天地法界のいのちが、お互いに今の姿を借りてここにあるわけだから、それが仏のいのちなんだから、その場所にちゃんと整った姿でおれば、それが不殺生戒ということ。」(余語翠巌)

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「法という字は、さんずいに去るという字が書いてある。水が流れてゆくことは、人間が考えたことじゃないんですよ。法律とか憲法なんていっても、あんなことは約束ごとだ。そういうことと、いつになっても変わらない法というものがある。それが宗教の風光というものじゃ。」(余語翠巌)

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「人の寸法でなく、仏さまの寸法で生きるということは、今この受けているいのちが、仏さまのいのちだということ。だから、がたがたいうことはいらん。みんな、がたがたいいすぎるんだ。」(余語翠巌)