余語翠巌

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宗教の風光 : 余語翠巖老師遺稿集(国立国会図書館サーチ)

余語翠巖 著,宗教の風光刊行会 編詳細情報タイトル 宗教の風光 : 余語翠巖老師遺稿集著者 余語翠巖 著著者 宗教の風光刊行会 編著者標目 余語, 翠巌, 1912-出版地(国名コード) JP出版地 東京出版社 中山書房仏書林出版年月日等 ...
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甘露寺開創の碑の建立

記念碑の「甘露寺開創之地」の揮毫は、大雄山最乗寺(道了さん)山主、余語翠巌老師にお願いしました。快く御了承を得、更に役員さん用の色紙までお願い出来ましたことは、大変な幸せでした。碑の老師の揮毫は、掛軸にして寺の宝としています。尚、最乗寺は、...
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ナムアミダブツには敵いません(風月庵だより)

母にも「なむしゃかむにぶつ(南無釈迦牟尼仏)」と唱えるように教えますが、どうも難しいようですから「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」はどうか、と聞きますと、いとも簡単に「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」とお唱えすることができました。やはり「南...
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自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること

お互に自分達の願いの中味を吟味して見ると、わがままなことが多いものである。ある基教信者の述懐をきいたことがある。その人は関東大震災にあって、非常な苦しみを味わった時に、何故こんな苦しみにあわねばならぬのかと神をうらみに思うたけれども、よくよ...
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無一物

私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた...
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貸家と唐様に書く三代目

昔の川柳に「貸家(かしいえ)と唐様(からよう)に書く三代目」と云うのがある。蛇足の解説を加えて見よう。初代は無一物から、身体一つで鋭々努力して産をなした人である。その身代を継いで二代目は実直に事業を守って行く。三代目は祖父たる初代の苦労を知...
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明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転

明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31...
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総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件

宗報の法規令達の総目録総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 昭和3年9月17日・黒田鉄巌 略歴参考画像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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感謝を忘れず真人になる

曹洞宗大本山總持寺教育機関である総持学園の90周年を記念する冊子「感謝を忘れず真人になる」には、その歴史が記載されています。関東大震災の翌年の大正13(1924)年に、大本山總持寺御開山瑩山禅師600回大遠忌を記念して、光華女学校として発足...
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食べていることが自分のいのちの歩み

1日に朝・昼・晩の3食を食事の機会とするのが日本の定番です。料理をしたり、食べに行ったり、1日に3回は食べるために動いている人が多いはずです。1食でも食べずにいるとお腹が減ってしまい、人は食べなければ生きていけないと感じてしまうわけですが、...