つぶやき

「人の寸法でなく、仏さまの寸法で生きるということは、今この受けているいのちが、仏さまのいのちだということ。だから、がたがたいうことはいらん。みんな、がたがたいいすぎるんだ。」(余語翠巌)

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「お互いの毎日毎日の歩みが一大事で、日常のごくありふれた出来事をつまらないと思わず、人生の一歩一歩に一大事を見つけることが大切なことです。」(水野梅秀)

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「山川草木悉皆成仏とは、山が山であり、川が川であり、草が草であり、木が木であることを成仏という。人は死ぬと仏になるとよくいうことであるが、そういうことではない。仏というものをもちだして、仏と仏でないものというように分けることが迷いのもとである。」(余語翠巌)

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「泣く時も悲しむ時も腹を立てた時も、無量寿仏の一部を生きている、お互いがね。その仏さまのいのちを、無駄ごとにするなということです。無駄ごとはひとつもない。どのようなことをしておっても、天地のことに、人間の生活の中に、無駄ごとはありません。」(余語翠巌)

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「これはきれいな花だ、こっちはじゃまな雑草だというけれど、これは人間の都合の話。良い悪いと順番をつけるのは人間の都合であって、この世にものがあるということは、人間に都合が良いためにばかりあるんじゃないんですよ。」(水野梅秀)

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「その場所その場所が正念場なんです。自分の願いが満たされなくても大したことはありません。大いなるいのちにお任せすればよいのです。」(水野梅秀)

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「ひと足ひと足行けるような、ゆったりした歩みが欲しいものだと思いながら、みんなできずに苦労しているのはお互いさまです。」(余語翠巌)

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「生まれてから死ぬまで、いのちはひとつだ。嘘も本物もありゃせん。余命も本命もないんですよ。天地法界のいのちを受けて、自分が今ここに生きておるんです。なんにも思うことはない。」(余語翠巌)

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「すべてのものごとを統一しようとすることは真実に反するのではないか。てんでばらばらでよいことであって、いつの時代も一つにしようと努力することがあっても、一つも成功していないようである。それは真実に反するからである。」(余語翠巌)

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典座教訓の実践として、台所に立った良い経験の一つとしては、師匠の三度三度の食事を準備していた数年間です。お寺に住み込みで内弟子として修行していた頃ですね。1対1なので、こちらとしては真剣勝負です。師匠の好みが分かり、料理のローテーションが出来てからは比較的楽にはなりましたが、師匠も大変だったと思います。