水野梅秀

故水野梅秀ゆかりの地にて納骨

先日2月23日(木)(※2017年)に釈尊涅槃の地・クシナガラにて故水野梅秀の納骨式を執り行いました。クシナガラは故水野梅秀のライフワークである、「貧しい子供達に教育の機会を」を掲げる「マイトリの会」の中心地です。式典はゆかりある地元の人々...
余語翠巌

立場が変わることで善悪が逆転するようなのは

おすすめの一節 "大雄山最乗寺の前住職・余語翠巌老師の言葉です。立場が変わることで善悪が逆転するようなのは、人間のモノサシであって、ほんとうの善でも悪でもない。"・余語翠巌 略歴
掲載人物略歴

水野梅秀 略歴

水野梅秀 みずのばいしゅう余語翠巌和尚に就いて得度、嗣法。第91祖。日本曹洞宗第41祖。弟子には中島法雄がいる。駒沢大学仏教学部を卒業後、駒澤大学職員を経て、曹洞宗観光協会(後のBS観光)設立者の一人でその社長・会長を歴任。大宝寺住職(7世...
余語翠巌

余語翠巌老師の法話を視聴している。宗教の風光の話。

余語翠巌老師の法話を視聴している。宗教の風光の話。・余語翠巌 略歴
余語翠巌

アダムとイヴが禁断の木の実を食べて

アダムとイヴが禁断の木の実を食べてエデンの園から追放されたというが、あれは人間が分別を持つことで神の国から追放されたんじゃな。余語翠巌老師・余語翠巌 略歴
余語翠巌

人生はな、何もなかれと願うけれど、

「人生はな、何もなかれと願うけれど、何もなくてみい。退屈でかなわないぞ。いろいろあるからいいんじゃ。」これは会社の事、家庭の事で悩んでいる青年に語りかけられた余語翠厳老師の言葉である。・余語翠巌 略歴
余語翠巌

禅の高僧、余語翠巖(よご・すいがん)老師の教え!

余語先生の「人生のとらえ方」がよく現れているエピソードを著書「従容録(地湧社)」から抜粋して、引用しましょう。いつか、長崎に行ったときに、運転してくれた人が、故郷を出てからの苦労話をずうっと綿々していました。私(余語)は、後ろの座席で聞いて...
余語翠巌

真理は一つ、切り口の違いで争わぬ。

真理は一つ、切り口の違いで争わぬ。余語翠巌・余語翠巌 略歴
余語翠巌

「こころの時代」で放映されたものより

(前略)青山:今の一当は、今初めて一度当たることができた。今初めて矢が的に当たることができたのは、過去の百回千回の失敗にめげずに、一度一度を大事に努めることによって、熟して、やっと今一度当たることができたぞ、と。「今の一当は過去の百不当の力...
余語翠巌

余語翠巌老師 ①「悟りとは、気づくこと」

今朝の夢、それは、わが輩の尊敬する大雄山の山主だった余語翠巌老師の夢です。「寂しさも、是また煩悩なり。煩悩即菩提なり!」食欲、性欲、物欲、名誉欲、人間にはいろんな欲望という煩悩がある。煩悩がある故、悩む。しかし、その煩悩に、悩む思いに、素直...