無一物
私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた縁故へ一度落ち着くこととなった。その時餞別をもらったと後から聞かされた。それは現金ではなく証文である。金弐拾五円なり餞別としてやるが現金は今は渡さないから、大きくなって入用のときに取りに来るようにと云うことである。無一物で寺を出てから流離の幾年か経って、四日市でその頃景気のよかった紡績工場で母は働くこととなった。朝早く貸間の家を母と共に出る。学校へ行ってもま...