余語翠巌 甘露寺開創の碑の建立 記念碑の「甘露寺開創之地」の揮毫は、大雄山最乗寺(道了さん)山主、余語翠巌老師にお願いしました。快く御了承を得、更に役員さん用の色紙までお願い出来ましたことは、大変な幸せでした。碑の老師の揮毫は、掛軸にして寺の宝としています。尚、最乗寺は、... 2020.09.15 余語翠巌
余語翠巌 ナムアミダブツには敵いません(風月庵だより) 母にも「なむしゃかむにぶつ(南無釈迦牟尼仏)」と唱えるように教えますが、どうも難しいようですから「ナムアミダブツ(南無阿弥陀仏)」はどうか、と聞きますと、いとも簡単に「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」とお唱えすることができました。やはり「南... 2020.09.14 余語翠巌
正伝の仏法 板橋興宗禅師遷化の報を聞いて 板橋興宗禅師が2020年7月5日、遷化されました。私は直接話したことはないのですが、一度、總持寺祖院でお目にかかっています(その様子は下記関連記事に)。私が内弟子で学んでいた師匠から聞いたり、書籍から間接的に学んだり、動画で見聞きし、御誕生... 2020.07.16 正伝の仏法
余語翠巌 自分の凡夫判断、世間そろばんにて、是非をきめることでなくお任せすること お互に自分達の願いの中味を吟味して見ると、わがままなことが多いものである。ある基教信者の述懐をきいたことがある。その人は関東大震災にあって、非常な苦しみを味わった時に、何故こんな苦しみにあわねばならぬのかと神をうらみに思うたけれども、よくよ... 2020.06.05 余語翠巌
余語翠巌 無一物 私は自分の幼少の頃をふり返って見る。三河の山寺で生まれた私は、五歳のとき父を失った。後住が来て、母は寺を去るように、私は寺の小僧になるようにとの事であったが、母としてはその申し出をきくわけに行かず、私を連れて寺を出ることとなり、三里程離れた... 2020.06.04 余語翠巌
余語翠巌 貸家と唐様に書く三代目 昔の川柳に「貸家(かしいえ)と唐様(からよう)に書く三代目」と云うのがある。蛇足の解説を加えて見よう。初代は無一物から、身体一つで鋭々努力して産をなした人である。その身代を継いで二代目は実直に事業を守って行く。三代目は祖父たる初代の苦労を知... 2020.06.03 余語翠巌
正伝の仏法 自分のことは自分でする 昨夜、元總持寺貫主の板橋興宗禅師が夢に出てきた。目が覚める思いというか、本当に目が覚めた。どういうわけか空から見下ろしていると、どこかの寺の山門で禅師ともう一人の僧が話している。そんな光景を有難く見ているという設定だ。そう言えば、近頃、図書... 2020.06.01 正伝の仏法
水野梅秀 クシナガラ涅槃苑 お師匠(水野梅秀)さんは1970年前後にインドの仏跡を巡拝して大変感動したと何度も語っていました。それ以来、30人から100人の人たちを連れて毎年インドに行くようになったのですが、何故、そんな多くの人たちを連れていけたのかというと、曹洞宗の... 2020.01.22 水野梅秀
余語翠巌 明治44年(1911年)11月5日 曹洞宗大本山總持寺御移転 明治44年(1911年)11月5日に曹洞宗大本山總持寺が能登の總持寺祖院から神奈川県横浜市の鶴見に移転した時の中心人物の一人として總持寺監院を務めた黒田鉄巌師が挙げられる。大本山總持寺は能登にあって古くから人々の信仰を集めてきたが、明治31... 2020.01.21 余語翠巌
余語翠巌 総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 宗報の法規令達の総目録総持寺監院黒田鉄巌黄衣特許ノ件 昭和3年9月17日・黒田鉄巌 略歴参考画像・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2020.01.20 余語翠巌